石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

小説『夜愁』(サラ・ウォーターズ著、中村有希訳、東京創元社)感想

夜愁〈上〉 (創元推理文庫)

夜愁〈上〉 (創元推理文庫)

夜愁〈下〉 (創元推理文庫)

夜愁〈下〉 (創元推理文庫)

『半身』『荊の城』など、ヴィクトリア朝のイギリスを舞台にした重厚かつ濃密なレズビアン小説で知られるサラ・ウォーターズの新作。今回も当然のごとくレズビアンがたくさん登場する話なのですが、ヴィクトリア朝でなく戦時中と戦後のロンドンが舞台であること、そして時系列を逆にさかのぼるというユニークな手法がとられている点が新鮮です。ちなみに、これまでの作品と違ってミステリ色やゴシックロマン色は薄く、あっと驚くどんでん返しもありません。むしろ意識してそうした要素を避け、リアリズムに徹した描写を積み重ねることで、出口のない閉塞した「現在」と、そこに至るまでの経緯を残酷なまでにくっきりと浮かび上がらせることを狙った作品なのではないかと思います。

どんでん返しがないからと言って、物語後半にスリルやサスペンスがないわけではありません。むしろ逆です。お話が進めば進むほど、つまり過去にさかのぼればさかのぼるほど、最初に描かれた「現在」の風景がまったく違った意味と深みを持ちはじめ、そのことが最後まで物語のテンションを保っています。そして美しくも残酷なラストシーンにたどりついたとき、読者は自分たちもまた哀しい未来をはらんだ現在を、それとは知らずに生きているということを思い知らされるのです。岡崎京子はかつて「この世ではどんなことも起こりうるんだわ/どんなおそろしいことも/どんなうつくしいことも」と描きましたが、うつくしいこととおそろしいことは実はひとつに溶け込んで日常の中に転がっており、私たちは単にそのことに気づかないままぐいぐいと未来に運ばれてしまっているのですね。

さて、肝心の同性愛要素はどうかと言うと、個人的にはメインキャラクタである3人のレズビアンのケイ、ヘレン、ジュリアの誰にも共感しづらくて、『半身』や『荊の城(上・下)』ほどお話にのめりこめないものがありました。なんというか、彼女たちの愛も裏切りもどこか安っぽい感じがして(その安っぽさがかえって現実的でよい、という意見もありましょうが)、ありがちな昼メロを見てるような気分になってしまうんですよ。それでも最後まで飽きさせずにぐいぐい読ませるあたりがサラ・ウォーターズの構成のうまさなのでしょうが、もうちょっとなんとかならなかったのかと思います。実際、このメインキャラクタ3人より、むしろ狂言回しのための脇役であるミッキー(この人もレズビアン)の方が魅力的に思えてしまったし、女性同士の心の交流という点では、異性愛者ヴィヴの金の指輪のエピソードの方が心に残るという有様でした。そんなわけで、レズビアン小説としては今ひとつかなあ。人の業やかなしさを描いた小説としては、とても面白く読めたんですけれども。