石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『マルスのキス』(岸虎次郎、ポプラ社)感想

マルスのキス (PIANISSIMO COMICS)

マルスのキス (PIANISSIMO COMICS)

切なさ超弩級の、♀♀初恋物語にして成長物語

『MAKA-MAKA』(ジャイブ)で女性同士の性愛込みの仲良し関係を生き生きと描いてみせた岸虎次郎氏の新作。今度は女子高生「由佳里」が、美術室のマルス像にキスしていたクラスメイトの女のコ「美希」に恋をするという物語なんですが、いやあ、よかった! 大好きだ、この漫画! まだ3月だというのに、早くも「これは今年の百合/レズビアン漫画の少なくともベスト3には絶対入る」と確信いたしました。作中にくだらない同性愛嫌悪がないことはもちろん、主人公が相手に魅かれていく過程がとても丁寧に描かれているところ、ただの初恋物語ではなく成長物語でもあるところ、そして超弩級の切なさを生み出す画力と構成力など、どれをとっても身悶えするほどよかったです。

恋の過程がとても丁寧

この漫画、「百合を見てモエモエしたいから、キャラを適当にくっつけて愛だの恋だの言わせとけ」的なご都合主義的展開が一切ないんですよ。女のコ同士の恋を描くにあたって、「なぜこの人はこの人が好きになったのか」を、これほど丁寧に描写していく作品も珍しいと思います。同性愛者が「ヘテロのためのオカズを提供する便利な駒」ではなく、ちゃんと感情のある生身の人間扱いされてるっていうのは嬉しいです。ほんとに嬉しい。

成長物語としての『マルスのキス』

由佳里の抱えている孤独と閉塞感は、実は誰でもいくらかは身に覚えがあることなんじゃないかと思います。だからこそ、殻を破って美希への気持ちを自覚していく彼女の姿が強い共感と感動を呼ぶわけで、単に恋の行方を追うだけでは終わらない「深み」のあるお話だなあと思いました。百合/レズビアン漫画としてだけではなく、大人と子供の境目を鮮やかに描いた作品としてもすぐれた作品だと思います。

卓越した画力、隙のない構成

まず、言葉に頼らず絵でドカンとメッセージが伝わってくるところにノックアウトされまくりました。漫画ってすごい。いや岸寅次郎がすごい。由佳里の孤独や子供っぽい優越感、「めちゃ好き」なはずの彼氏の本性、そして由佳里が美希にだんだん心動かされていくところなどが、説明台詞やくだくだしい地の文ではなく「絵」の力で実に雄弁に語られているんですよね。

「絵」によるメッセージのもっともわかりやすい例を挙げると、たとえば表紙と各話の扉絵がそうです。この漫画を読み終わったら、試しに各話の扉絵を順にもう一度見返してみることをおすすめします。で、最終話まで見たら、もう一度表紙を見てください。台詞なんてひとつもないのに、泣けてきません?

ちなみに、絵だけでなく、完璧に計算されつくした構成もよかったです。さまざまな伏線がきちんきちんと回収されてドラマを盛り上げていくところは、見事というより他ありません。ネタバレを防ぐため詳細は伏せますが、たとえば以下の点などに注目して読むと面白いと思いますよ。

  1. マルス像とのキス
  2. マニキュア
  3. プリクラ

3番目について補足。「全部読み終わってから、カバーを外して中を見てください」。あとはぜひ、ご自分の目でお確かめを。あたしはもう、あまりの切なさにのたうち回ってしまいましたよ。本って中身だけでなく、カバーもカバー下もひっくるめてひとつの作品なんだなあと改めて認識させられてしまいました。

偏見を逆手に取る演出

由佳里が美希にキスを求めながらこんな台詞を言う場面(p146)があるんですよ。

だってさ 女のあたしだったら別に ファーストキスにはカウントされないでしょ?

普段だったらあたしゃ、こういう異性愛中心主義的な台詞は大嫌いなんです。でもこの場合は別。誰がなんと言おうと別。なぜなら、「カウントされない」どころか、実は由佳里はこのキスを本当に本当に大切に思っているということが、この場面の前後で力いっぱい表現されているからです。つまりこれは、一見ヘテロノーマティブな台詞がその実すんごく熱い想いの発露になっているという、ひとひねりもふたひねりもされた演出なわけですよ。偏見コテコテの漫画では絶対にできない、ひとつ上を行く表現だと思います。

まとめ

女のコから女のコへの初恋を、実に緻密に丁寧に描いた大傑作。切ないし可愛いし、成長物語としてもマル。とにかく読め! 読まなきゃもったいない!