石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『えむの王国(3)』(中平凱、芳文社)感想

えむの王国 (3) (まんがタイムKRコミックス)

えむの王国 (3) (まんがタイムKRコミックス)

大団円の最終巻

マゾヒストの国「えむの王国」、サディストの国「えすの王国」、そして同性愛者の国「薔薇の国」「百合の国」の人々が織りなすギャグ4コマ最終巻。旧えむの王国首都を舞台に権謀術数が繰り広げられ、お話は大団円へと向かいます。

今回は暗殺をめぐる陰謀に多くのページが割かれているため、1〜2巻に比べるとヘンタイ度は低いかも。あと、「ノーマル」という語の使われ方にもちょこっと疑問があります。ただし、クライマックスでのシャルロット姫がかっこよすぎて、それらの難点もかすんでしまっている感じです。ちなみに百合漫画としては、エリイやシンシア、百合の国の王女ピアノなどがかなり頑張ってます。

ヘンタイ度について/「ノーマル」という語の使われ方について

今回はシリアス展開が多く、たとえば1巻の「兄の粗○○を蹴りあげるのだー!」ほどの無茶苦茶なインパクトはないかと。でも、シャルロットが弱冠10歳にしてボンデージ姿を披露させられていたり(p25)、敵に捕まったシンシアが

手だけじゃなくて全身くまなくしめ上げてください あと縛っている時に卑猥な言葉を投げかけてくれると…

と主張してたりする(pp60-61)あたりはさすがです。あと、登場人物のほとんどがSMマニアかゲイかレズビアンだというのは、考えてみればすごいことかも。SM指向がない異性愛者が超マイノリティであるという点で、世間一般の性規範がひっくり返ってしまっているわけですからね。

ここでちょっと残念だったのが、作品内での「ノーマル(正常)」という語の使われ方です。3巻では異性愛者は「ノーマル」ではなく「ノンケ」と呼ばれており、そこまでは非常にいいんですよ。でも、その一方で「SM指向がない異性愛者」を「ノーマル」とするのはどうなのと。これじゃ結局「SMも同性愛もアブノーマル、無徴なものこそノーマル」という保守的な価値観をベタになぞってるのと同じですよね。そこがちょっと残念かなー。

百合漫画としての『えむの王国(3)』

シンシアとエリイは相変わらずの飛ばしっぷり。また、「女の子を見つめると相手をホレさせてしまう」という百合版バンコランのようなキャラ「ピアノ」も活躍しています。ちなみに、恋愛が発生したりカップルができたりというところまでは行かず、あくまで多様なセクシュアリティの中のひとつとして百合が登場する感じです。作者様によると、

百合の国は色々ネタがあるんですが、結局本編では出せませんでしたね。まあ、機会があればいずれどこかでスピンアウト的な事をやってみたいです。

とのことなので(p114)、いつかそちらも読んでみたいと思っています。

まとめ

割合シリアスな展開の1冊。「ノーマル」という語の使われ方にはひっかかりを覚えましたが、クライマックスのシャルロット姫の台詞には感動。百合な人々の活躍にも満足です。スピンオフ作品がいつか読めたらいいなあ。