石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『夜、海へ還るバス』(森下裕美、双葉社)感想

夜、海へ還るバス (アクションコミックス)

夜、海へ還るバス (アクションコミックス)

痛みと救いを描き出すレズビアン漫画

参りました。両肩をつかんでぶんぶん揺さぶられたようなこの衝撃。まるでぎっしり書かれた長編小説を読んだような手ごたえある読後感。すごいわ、この漫画。

『夜、海へ還るバス』は、結婚を目前にして「自分は同性愛者かも」と悩む主人公「夏子」が、試しに女性と付き合ってみるというお話です。というと、一見、「なんちゃってレズのお試し同性愛ごっこ」にも見えてしまうでしょう? あたしもそう思って、すごく警戒しながら読んだんです。けれども、ありがたいことに、これはそんな薄っぺらい作品ではありませんでした。誰にでもある痛みとそこからの救いを、静かに、かつ力強く描き出してみせた傑作だと思います。

同性愛をモチーフにしつつも、このお話は、そこだけに拘泥しません。「女と女」だけではなく「母と娘」「男と女」などのさまざまな愛憎がきちんと積み上げられ、かつ結び付けられて行きます。それでいてわかりやすい悪役を提示しそうでしないという、絶妙の話運びがよかったです。

「特定の悪役をやっつけてめでたしめでたし」という水戸黄門的なカタルシスを、この物語は提供しません。その代わりに、「非常に凄味のあるシークエンスが、角度を変えてみれば情けなくてくだらないエピソードだったりする」「天然に思えるキャラクタに、実は壮絶な孤独と魔がある」というような入念に仕込まれた多層性が、読者を最後まで翻弄します。だからこそ最後の数ページが最高に生きてくるわけで、そこが本当にすばらしかったです。

バスが還る海は、「母」であり「ワタシ」であり、諦念をはらんだ「救い」であるとあたしは受け取りました。最終的にその境地に至った主人公の表情の、なんと静かなことか。それは手放しの幸せでもないし、ましてやキャッキャウフフのラブラブファイヤー状態でもない。けれども、これこそまごうことなきベストなエンディングだと、あたしは思いました。単純なラブストーリーをお探しの方には向きませんが、胸にドカンと来るような、切なくて深いお話が読みたい方におすすめです。