石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

「サンデー・タイムズ」の、サラ・ウォーターズのインタビューが面白い

ミステリマガジン 2009年 05月号 [雑誌]

ミステリマガジン 2009年 05月号 [雑誌]

孫引きになってしまうんですが、「ミステリマガジン」2009年5月号(pp. 170 - 171)に引用されているサラ・ウォーターズのインタビューがとても面白かったです。このインタビューは、小説『半身』のドラマ化を期に、「サンデー・タイムズ」が行ったもので、ちょっと抜き出してみるとこんな感じ。

今では押しも押されもせぬ人気作家ウォーターズは、レズビアン作家と定義されることは気にならないとう。

「ジャネット・ウィンターソンなどはそのレッテルに抵抗してきましたが、私はそれを問題と感じたことはありません。私はとても幸福。レスビアンの読者と主流の読者と、両方がついていますから」

「小説を書くときは、歴史的な風景を使って、そこにレスビアンの女たちを入れるの。読者はレスビアンであれ、ストレートであれ、面白い経験をするんじゃないかしら。過去の世界に戻って、“ああ、やっぱり誰も彼もがヘテロってわけじゃなかったんだ”と思う」

(引用者中略)

「私の作品に好色文学としての魅力があるのは確かだと思います。ポルノでは、レズビアン・セックスが昔からメイン・アクションの前のオードブルとして使われてきたんですもの。でも同時に、私の作品はそれで人をつかもうとはしていない。レズビアン・セックスのあとで男が登場するわけじゃないわ。それに、小説ではそのほかにも、裏切り、喪失、といった、誰もが普遍的に経験する要素を扱っています」

「ああ、やっぱり誰も彼もがヘテロってわけじゃなかったんだ」という気づきは、確かにサラ・ウォーターズ作品の醍醐味ですよね。性に関わることがおそろしく隠匿されていた19世紀の英国ですらレズビアンやゲイはいて、空襲下のロンドンにだってやっぱりいたんだ、というあの安心感。しかもそれを、性愛の枠組みだけでなく、「裏切り、喪失、といった、誰もが普遍的に経験する要素」を使って緻密に描いていくところがいいんですよね。

それから、「ポルノでは、レズビアン・セックスが昔からメイン・アクションの前のオードブルとして使われてきた」というところにも首をぶんぶん振ってうなずいてしまいました。いわゆる「お、俺も混ざっていいすか?」とか「俺が男の良さを教えてやるぜー」みたいな、うんざりするほどよくあるパターンですよね、これ。ところがサラ・ウォーターズの小説では、レズビアン・セックスはあくまでメインディッシュ。そこが面白いんですよ。

あと、この「オードブル」って言葉、「百合は思春期だけの/女子校だけの儚い関係」みたいなドリーミーな発想にもどこか相通じるものがあるんじゃないかなと思いました。要するに「思春期を過ぎたら/女子だけの環境にいなかったら、女は全員男に股開いて、メインディッシュたる男女セックスにいそしむはず! そうなる前の、美しく飾り付けられたオードブルだけつまみ食いしたい」って発想でしょ、これ。どうして個人的にこの手の作品が苦手なのか、わかった気がします。どんなに美化されたところで、自分がとても大切に思っているものを、一律に「メインにはなりえない添え物」扱いされたら嫌ですよ、そりゃ。

ちなみにこのインタビュー、こんなところ(p. 171)も面白かったです。

サラ・ウォーターズの新作"The Little Stranger"は、今年六月に刊行を予定されている。前作『夜愁』に続き、一九四〇年代後半の戦後の社会が舞台だが、レズビアンの登場人物はいないという。

「たまたまストーリーがそうなってしまったの。でも最近、イギリスのレスビアン雑誌《ディーヴァ》に怒りの投書があった。私がレスビアンたちを裏切った、というのよ。その読者は、もう私の本は買わない、友人たちも同感だ、と書いていた。ちょっと気が咎めて、暗くなっちゃったわ」

こらこらイギリスのレズビアン、こんなところでレズビアンのおバカさを露呈してどうする(笑)。いいじゃん1作や2作、レズビアンキャラ皆無でもさー。なお、"The Little Stranger"の次の作品では「またレズビアンの物語に戻る」ということらしく、そういう意味でも「もう買わない」っていうのは大損だと思います。

なお、このインタビューのきっかけとなった『半身』のドラマ版は、"Tipping the Velvet"も手がけたアンドリュー・デイヴィスの脚色で昨年12月に放映されたとのこと。既にDVDも出ているみたいなので、そのうち見てみようと思っているところです。