石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『384,403km―あなたを月にさらったら』(向坂氷緒、フランス書院)感想

384,403km―あなたを月にさらったら (ティアラ文庫)

384,403km―あなたを月にさらったら (ティアラ文庫)

ユーモアとエロティシズムを詰め込んだ、ナイスな百合小説

女子高生「藤林美由紀」が、幼稚園以来の片想い相手「矢嶋理世」(やしまりせ)との恋を成就させる物語。面白かったです。まず恋愛ものとしての心理描写がきわだっているし、さらりとしたユーモア、おっさん向けでない上質のエロス、巧みな構成なども光っています。中里十さんの百合小説がお好きな方とかに合うのではないかと思います。惜しむらくは恋愛研究會と風紀委員会の対立がやや陳腐な上、尻すぼみな展開に終わってしまうことぐらいですが、ひょっとしたら次巻の計画とかがあって、そこでこのへんのお話が描かれたりするんでしょうか? だとしたら、とても嬉しいのですが。

心理描写について

美由紀の感情の動きのリアル感がよかったです。百合ものにありがちな薄っぺらいお約束キャラではぜんぜんなく、人間らしい心のうねりをきちんと持っているところがすばらしかった。たとえば幼稚園で恋に落ちるところのこうした描写(pp. 14 - 15)とか、よかったです。

そう、無関心を経て、私が最初に理世に抱いた感情は『大嫌い』だった。

どうしようもなく、嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで、
嫌いで――――

「私のものになって」

嫌いすぎて、理世のことしか考えられなくなって。

幼稚園児だからと「○○ちゃん、しゅきー」みたいな台詞をフワフワと言わせて終わりなんかじゃないところに、完全にノックアウトされました。月というモチーフを使って美由紀のしんとした孤独を描いていくところも面白かったし、それを逆手にとってのラスト1行の高揚感もみごとでした。

ユーモアについて

まず美由紀の空回りっぷりがすこぶる楽しいです。傍目には隙のない美少女なのに内面は隙だらけで、不器用でヘタレで。で、そのヘタレっぷりを、抑制のきいた筆致でコミカルに描き出していくところがまたいいんだ。ラノベにありがちなオタク臭いオノマトペ(『はにゃ~』とか『うにゅう~』みたいな)でキャラのダメさを演出するのではなく、きちんと文章の力で笑わせてくれる小説なんですよ。

嗣宮先輩の和菓子ネタなんかも、独創的でよかったです。お嬢様学校で塩大福や芋ようかんを持ってくるところがまず面白いし、そこへもってきて脱衣ポーカー時のあの発言。たまらんです。

さりげない淫靡さ

「さりげない」と書きはしましたが、セックスシーンは質量ともに群を抜いています。それらの場面にひたすら男ウケだけを狙ったようなわざとらしい描写がないところがとてもいい、っていう話です。

ほら、よくあるじゃないですか、貝合わせとか69とかばっかり出てくる、いかにもノンケ男が妄想しました風なだっさいレズビアンセックス。「とにかく粘膜同士が接触し続けなきゃ『する側』が気持ち良くないじゃないか!」みたいな利己的セックス観を女性同士の行為にまで投影した、なさけないエロス。この作品の性愛は、そんなものからは百万光年ぐらいかけはなれたところにあります。すんごくエロエロなのに、いかにも女性同士らしい繊細さがあって、楽しく読みました。快楽だけでなく、幸福感がきちんと描かれているところもよかったなあ。

ちなみに、直接的なエロ表現以外でも、こんなところ(p. 65)にさらりと仕込まれた官能もいいんですよ。

少しの間、私はディスプレイを眺めて、着信履歴を表示して、矢島理世の名前をそっと胸に当てて、それから充電器に差して、お風呂に入った。ふだんより長めに入った。

外に声がもれなかったか、少しだけ心配した。

最後の1行の意味がわからないやつは、エロゲのスチルでもながめて喜んでやがれと思います。

構成の妙

この作品は第1章~5章+エピローグ+番外編という構成になっています。美由紀の恋は紆余曲折を経て第5章で成就するのですが、そこまでだけ読むと、いささか都合がよすぎる話にも見えかねないんですよ。9年間も離ればなれだった理世が、なぜこうもすんなり美由紀にオチてくれるのかがはっきりしないんです。

ところがその疑問は、理世視点で描かれるエピローグ「「好き」のなかみ」で、痒いところに手が届く勢いで解消されます。さらにその後、番外編「Moon Queen――月の女王」で文句なしのハッピーエンディングを迎えた後、物語は今度こそ幕を閉じます。

よくできたアドベンチャーゲームのようだ、と思いました。第5章ラストがノーマルED。エピローグは、ノーマルEDを見た後に現れる、謎解き用の隠しシナリオ。番外編がグランドフィナーレで、その結末がトゥルーED。この一連の流れが、ことのほか楽しかったです。

唯一残念だったところ

恋愛研究會と風紀委員会の、というか、より厳密には御門まりあと礼瀬沙苗の対立がかなりステレオティピカルな上に、たいした展開もなく尻すぼみに終わってしまうのは残念でした。このへんにもう少し肉付けしてあったら、もっと嬉しかったかも。

まとめ

いやらしくてけなげで可愛らしい、ナイスな百合小説でした。すげー面白かったので、たくさん売れてほしいです。御門まりあと礼瀬沙苗の関わりが消化不良ぎみなところだけは残念ですが、メインカップルの恋路については文句なし。超おすすめ。