石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

『ひなぎく純真女学園(3)』(ふくやまけいこ、徳間書店)感想

ひなぎく純真女学園 3 (リュウコミックススペシャル)

ひなぎく純真女学園 3 (リュウコミックススペシャル)

最終巻。テーマは「百合」というより「女学生」

セレブ女子高生「樫宮アミ」から清貧メガネっ娘「木成ユイ」への想いを綴る4コマコメディ最終巻。百合として読むには正直失速感のある終わり方でした。お話の流れに「成長=異性愛の受容」という気配が漂うところにも首をかしげざるを得ません。ただし、結末がヘテロセクシズムに浸食されていないところは評価したいと思いますし、「何もかもはじめてでこれから」(あとがきより)な女学生時代を描くというコンセプトそのものは面白かったです。結局このシリーズは、最初から、「百合もの」ではなく「女学生もの」だったのかも?

忍び寄るヘテロセクシズムの気配(一応、杞憂でしたけど)

今回はスナ先生が生徒たちを異性愛に誘導しようとするエピソードが複数あり、すげー納得いきませんでした。あの自由人なスナ先生に、それはないでしょうと。ただ、最終話のスナ先生の台詞を見るに、これも「女学生もの」というテーマの一環ではあるんですよね。スナ先生がアミを「ムーミン」と呼び続けた理由が判明するに至っては、今回の彼女の行動は「好きにはなれないけれど、ある意味、仕方のないこと」というところにあたしの中では落ち着きました。よかれと思ってやってるんでしょうしね。スナ先生、いい人ですしね。とりあえずお話そのものはヘテヘテな地点には着地しないので、それでよしとすることにします。

「百合もの」というより「女学生もの」

結局アミの想いは何だったのでしょう。恋? それとも思春期ゆえの「行きすぎた友情」? どちらとも受け取れる結末ではありますが、あたしは前者だと思いたいです。結局この物語の力点は、「女学生もの」という部分に置かれており、アミの熱情の行方はサブテーマなので、そのあたりは読み手の解釈次第なんじゃないかと思います。直球なラブストーリーだと思い込んで読み進めていくと、この3巻はやや肩すかし気味なんですが、「ウブくてピュアな女学生のドタバタもの」だと思えば腑に落ちる展開ではあります。1〜2巻を読んだ時点でそこまで読み切れず、単純に「百合漫画」と受け止めていた自分が阿呆だったということでありましょう。

ただ、レズビアン視点から見るならば、木成さんが常にジャージ着用だというのは実はかなりポイント高いんですけどね。ジャージ(tracksuit)は、アメリカのレズビアン雑誌「Curve」の、「レズビアンに贈るべきウエディングギフトTOP10」みたいな特集でもみごと1位に選ばれたアイテムですからね(もちろん『レズビアンはスポーツ好きで、身なりに構わない』という意味のギャグなんですけど、一面の真理を突いていることは否めません)。あとはP. 129での2人の会話、そして木成さんからアミへの手紙の大好き度に夢を託して妄想補完することにします。な、泣いてなんかいません。

その他

マーヤが再び腐方面以外でのオタクな側面を見せてくれていて、嬉しかったです。あと、なんでもかんでもBL的な価値観で物事をとらえることへのツッコミが入っているところもよかった。

まとめ

評価が非常に難しい1冊だと思います。単純にアミと木成さんの百合話として読むにはあまり向かない展開であることは確か。あと、「思春期女子はまだ『女の人』になりきっていない美しい存在」「女性は『歪みを正』して異性愛に誘導すべきもの」みたいなよくある発想の匂いが、あたしには合わなかったことも確か。それでもやっぱり最終回のスナ先生の言葉は痛いほどわかるし、毎度毎度のキャラ達のドタバタ自体は楽しいしで、トータルするとやっぱり嫌いになれない本ではあるんですよ。百合として読むなら1〜2巻と合わせて「選外佳作」ぐらいの位置づけになる作品であろう、というのがあたしの出した結論です。