石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『HER』(ヤマシタトモコ、祥伝社)感想

HER(Feelコミックス)

HER(Feelコミックス)

高齢レズビアンキャラ最高

1話完結でゆるやかにつながっていく群像劇。べつだん百合/レズビアニズムをメインテーマとする作品集ではないのですが、第3話に登場する白髪のレズビアンキャラがすんばらしいんですよ! このクールでタフなばーさんが息をするように言い放つ箴言の数々といったら、主人公ならずともぐっと心をつかまれること間違いなし。「フツーであれ」というプレッシャーに息が詰まりかけている若者にも、フツーでない人生を生きている大人にも、「フツーって何?」と思っているすべての人にも読んでほしい傑作です。ちなみにこのばーさん、レズビアンとしてもかっこよすぎる人で、見とれてしまいました。なれるものなら、いつかあんなババアになりたいぜ。

ばーさんの箴言いろいろ

第3話の主人公は、「フツーであれ」という規範を忠実に守りつつ、閉塞感で押しつぶされそうになっている女子高生「西鶴こずえ」。そんな彼女はある日、ご近所に住むレズビアンばーさん「武山佳子」さんと偶然知り合います。この武山さんが無造作につぶやく台詞の数々が、実にいいんですよ。以下、こずえが友達の目を気にしたり、自分の名字が嫌いだと言ったりしている場面での武山さんの言葉(p. 77)です。

花を好きなのを黙ってたことも名字が嫌いなことも2年もすれば忘れて
その3年後には今気にしているようなことはどうでもよくなる
…その5年後 16歳の自分が大切なものをドブに捨ててきたことに気づく

それは予言かといぶかしむこずえに、「人類にあまねくふりかかる呪い 世界のきまり」とばーさんは言ってのけます。26歳を過ぎた人なら、ちょっと遠い目になりつつニヤリとうなずいてしまう方も多いのでは。

この場面以外でも、ばーさんは残酷で美しい「世界のきまり」をこともなげに言語化していきます。炯眼とはこういうことを言うのかと思い知らされました。「武山佳子名言集」を作って全部紹介したいところですが、ネタバレ防止のため涙をのんで我慢。ぜひ、ご自分の目で確かめてください。

ばーさんかっこよすぎ

この白髪レズビアンときたら、超美人のモデルと恋愛してるわ、しかも戸外でキスしてるわ、「ヘンタイ」をからかおうと寄ってきたこずえに平然と

――心配しなくても面食いなんでね
あんたみたいな小娘に興味はないよ

と切り返す(p. 72)わで、かっこよすぎです。くわえ煙草のしたたかな表情も、職業が写真家だってところもイケてます。これはモテるわ、女に。

それでいてただの完璧超人ではないところも、またいいんですよ。そもそも、こういう「面食い」発言が顔色ひとつ変えずにすっと出てくるのって、過去にさんざん嫌な思いをさせられた上でのルーチン化だと思うんですよね。このルーチンがここまで完成されるまでに、若かりし日の武山さんはどれだけの痛手を負ったのだろうかとつい思いをはせてしまいました。他の部分でも、過去の痛みがあってこそ今の手強い武山さんがあるのだということがさりげなく示されており、こういったきめ細かな描写がこのキャラの魅力をますます高めていると感じました。

「フツー」をめぐるあれこれについて

序盤に、「フツー」の呪縛にとらわれたこずえが「レズはヘンタイ」とか言ってる場面が出てきます。が、レズビアンのあたしが読んでも全然嫌じゃないどころか、逆にこずえが気の毒になってしまいました。なんとなれば、彼女の

処女だとやばくて
20歳をすぎると終わってて
レズはヘンタイで
シュシュは絶対必要で
おそろい拒否とか世界滅亡
フツーってこと フツー

という独白(p. 69)は、ホモフォビアというより、むしろ悲鳴にしか見えないから。フツーでなければ許されないという圧力に殺されかかっている人の悲鳴ね。

女子高生たちの同調圧力や視野の狭さを描くのがうまいんですよ、ヤマシタトモコさん。その中で窒息しそうになっているこずえの姿は、セクシュアリティを問わず多くの人の共感を呼ぶものだと思います。この「フツー」をめぐる鬱屈が非常に身近なものであるからこそ、フツーと非フツーの価値が逆転するクライマックス(p. 89)に怖いほどの迫力が生まれているのでは。だめ押し的にややコミカルに非フツーを再評価してみせる結末も、納得のひとことでした。

まとめ

これは読むべき。特にレズビアンは読むべき。白髪の同性愛者キャラ・武山佳子さんの名言の数々に、最初から最後まで快哉を叫びっぱなしでしたよあたしは。漫画におけるレズビアン像っていうと、恋愛や友情に悩む若者か、あるいはお涙頂戴ヒロインかってのが主体ですが、そればっかりでは退屈だと思うんです。ロールモデルの供給という意味でも、こういういかしたレズビアンババアが活躍してくれるのは、うれしい限り。巷にはびこる「フツー」圧力の正体をえぐり出していくくだりも強烈で、しびれました。他の収録作もみな面白く、おすすめの1冊です。