石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『蝋燭姫(2)』(鈴木健也、エンターブレイン)感想

蝋燭姫 2巻 (ビームコミックス)

蝋燭姫 2巻 (ビームコミックス)

苛酷で清新な百合物語

中世末期ヨーロッパが舞台の百合ドラマ、ここに完結。いやあ良かった。苛酷な運命の中、スクワとフルゥがただの小娘に立ち返って見いだす美しくて心地よいものの重みに身震いしました。上質のラブストーリーであると同時に、卑なるものとされる「女」たちに宿る聖性の物語としても読めるところが特によかったです。落とすところで容赦なくドンッと落とし、意表をついて浮上させるジェットコースター展開もおみごと。最後の最後まで気が抜けない、濃密な百合作品でした。

小娘2人が見いだすもの

百合ものでありつつ、ありがちな「姫と侍女」萌えを通り越したところにあるお話であるところがユニークでした。血と絶望に彩られたストーリーの中、スクワは貴人からただの小娘へ、フルゥもまた崇拝者からただの小娘へと立ち戻り、同じ目線から互いへの愛を再発見していくんです。2人の変化の過程でのほほえましい場面も苦くつらい場面もみなあざやかで、だからこそ結末がいっそう胸に響くという仕掛けになっています。幕切れには複数の解釈が成り立ちますが、そこまで読んでからカバー絵をふと見返して、心臓をぎゅっとつかまれたような気持ちになりました。ネタバレ防止のため詳しくは申し述べませんが、うまいですね、まったく。

卑なるものと聖なるもの

1巻では気高い姫様のスクワと、粗野で下品なフルゥとの対比が強く打ち出されていました。一転、この2巻では、「男と女」という階層構造の中ではスクワもまた下層民でしかないことが描き出されていきます。どんなに豪奢な衣装や宝石を持っていようと、立ち居ふるまいが高貴であろうと、男たちにとってスクワはただの道具です。道具だから踏みにじってもいいし、勝手に利用してもいい。

子どもさえ産めりゃあいい さあ一緒に来てもらおう

スェイのこの台詞を見ればわかる通り、王の血を持った子産みマシーンなんですよ、スクワは。

もうひとつ象徴的なのが、同じくスェイが侍女フルゥに向かって言い放つこちら。

お前たちはまがいものだ 男の肋から男を真似て作られた

「たち」と複数形にすることで、フルゥのみならずスクワまでもが「まがいもの」、すなわち人間以下の存在としておとしめられる瞬間です。

このように卑しまれる「女」たちの絆に、男たちには手の届かないある種の聖性が宿る瞬間を切り取ってみせるのが本書だと思います。作中に出てくる生理や汚穢の表現も、実はそのために用意されたものなのではないかとあたしは受け取りました。聖と卑と同じく、清浄と穢れもまたコインの裏表だからです。このあたりもまた、お話に独特の厚みを与えていておもしろかったですね。

その他いろいろ

  • 「まさか、こう来るとは!」という容赦ない展開がてんこもりです。「サラ・ウォーターズの『茨の城』を読んだときと同じぐらいハラハラドキドキした」と言えば、このおもしろみが伝わるでしょうか。
  • マロノーやヤージェンカをはじめ、脇キャラたちの存在感もよかった。最終回で名もない女性キャラたちが果たす役割も味わい深かったです。

まとめ

スリリングでずしんと胸に響く、上質の百合ドラマでした。ただの同性同士の惚れたはれただけでなく、さらにもう一段深いところにあるものを描いていく作品だと思います。欲を言うと、3巻構成ぐらいにしてもっとたっぷり読ませてくれたらさらに嬉しかったかも。とにかく、おすすめです!