石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『ケッヘル(上・下)』(中山可穂、文藝春秋)感想

ケッヘル〈上〉 (文春文庫)

ケッヘル〈上〉 (文春文庫)

ケッヘル〈下〉 (文春文庫)

ケッヘル〈下〉 (文春文庫)

新境地の力作

ミステリー仕立ての長篇力作。おっもしろかった……! 主人公女性・木村伽椰の壮絶な恋愛と、モーツァルティアンのピアニスト・遠松鍵人の数奇な人生が交錯する中、ある残虐な復讐劇が浮かび上がってくるという、読みごたえばっちりの小説でした。サスペンスフルな筋立ても、当を得た同性愛描写もともによかったです。どこか村上春樹ふうな構成や、ユーモアの効かせ方もたのしかった。恋愛小説家と呼ばれることが多い中山可穂さんですが、これはまさに新境地と呼べるのではないかと。

謎とサスペンスについて

タイトルの「ケッヘル」(köchel)とは、モーツァルトの作品目録につけられた通し番号「ケッヘル番号」のこと。たとえばK620なら『魔笛』を、K626なら『レクイエム』を指します。このケッヘル番号がキャラクタたちの行動指針にも、復讐の手段にもなり、時には絶望の中の光にもなるというアイディアに舌を巻きました。よくぞこのような大がかりなことを考えついて、しかも実行し得たものです。作者自ら文庫版あとがきで太鼓判を押している通り、モーツァルトの曲をひとつも知らなくても十分楽しめる小説なのですが、下巻まで読み通した人は必ずや以下のくだり(下巻p. 531)に共感してしまうことでありましょう。

希望とは、モーツァルトの音楽のようです。万人に等しく与えられ、耳と心を開きさえすればいつでも享受でき、人生を豊かにしてくれる。

なおケッヘル番号以外の伏線も緻密に散りばめられ、かつ、小気味よく回収されていきます。謎解きはホワイダニットからフーダニットに移行してからが真骨頂。多少の荒削り感はあれど最後まで結末が読めないハラハラ展開に、「早く知りたい、でも読んじゃうのがもったいない」と身悶えしました。

同性愛描写について

女性同士の恋愛やセックスの描き方については、たとえばこのような場面(下巻pp. 98-99)がきわだっています。

いきなり立ったままの姿勢で、背後から指が挿し込まれた。最初から最後まで濡れ続けていたわたしの性器は何の痛みも感じることなく滑らかにその侵入を受け入れ、ただの一撃で達してしまった。それは銃口のようにつめたくて容赦がなく、蝋燭のように熱く燃えていた。わたしは低くうめいてその場に崩折れた。彼女が指を抜き取ったあとで、痙攣がやって来た。火柱で掻き回されたような強い刺激と、これまでに一度も感じたことのないような激しい快感が、全身を津波のように駆け抜けていった。わたしは冷蔵庫を抱きしめるような格好で悶えながら、しばらくのあいだうめき続けていた。抱かれたというより、罰されたような気がした。

おそろしいまでのリアリティ。このリアルさが男性や、男性としかセックスしたことのない女性にどれだけ伝わるのかは正直わかんないんですが。これだけの鮮烈な描写をほどこしつつ、別に同性愛がメインテーマではないという贅沢さもおもしろかったです。

実のところ上巻前半で伽椰が語る(女同士の)恋愛観には凡庸さや陳腐さも感じないではなかったんですよ。しかし、最後まで読むと「あれもひとつの伏線だったのでは」とわかる仕掛けになっています。そんなところもまたよかった。

村上春樹風な読みやすさ

作品は全8章から成り、伽椰の章と鍵人の章が交互に一人称視点で綴られたのち、2人の物語がひとつに統一されてクライマックスを迎えます。どこか『世界の終りとハードボイルド・ワンダー・ランド』を思わせる構成ですし、「オニオングラタンスープ同盟」(下巻p. 404)に代表されるさらりとしたユーモアもまた、村上春樹テイストです。この物語はある種の幻想的な冒険譚でもあるので、こうした語り口が非常によく合っていたと思います。これまで中山可穂作品を読んだことのない人にも、とっつきやすいんじゃないかな。

まとめ

奇抜な着想を端正な筆致で長篇小説へと昇華させた、ユニークな作品。読みやすいのにずっしりとした手応えがあり、長い物語を読むたのしさが存分に味わえます。後半での謎解きにほんの少し荒さは感じられますが、ジェットコースター展開の醍醐味はじゅうぶんあるし、同性愛描写も秀逸でした。ただの恋愛もの・レズビアンものでは飽き足りない方に超おすすめです。