石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

「わたしはクィア」元ミス・ケンタッキーがブログでカミングアウト

Crown and Scepter
Crown and Scepter / MoToMo

2012年のミス・アメリカコンテストにケンタッキー代表として出場したDjuan Trentさんが、ブログで「わたしはクィア」("I am queer.")とカミングアウトしています。タイムリーにも、ケンタッキー州では裁判所が州外での同性婚を有効と認める判決を下したばかりです。

詳細は以下。

Former Miss Kentucky Comes Out In Blog Post: "I Am Queer"

Trentさんの、"Turning "They" into "We""と題されたこのブログエントリ、面白いんですよ。美しいだけでなく知性豊かな人なのだと思います。以下、少し引用して訳してみます。

今日このことを書くきっかけとなったのは、わたしに質問してくる人たちがいつも、a)わたしが異性愛者で、b)その人たちの見解や意見に同意するだろう、と決めてかかってくるということです。もしもある男性がわたしに近づいてきて、わたしが男性よりも少ない賃金をもらうべきだということに当然同意するものと思っていたとしたら、わたしは当惑するでしょう。もしもある白人がわたしに近づいてきて、わたしが白人とは別の水飲み場を使うことに当然同意するものと思っていたとしたら、わたしは当惑するでしょう。わたしが女だということはひと目見れば簡単にわかります。ちょうど、わたしがどう見ても黒人であるのと同じこと。だから当惑するわけですね。でも、ときどきわたしは朝外に出かけるとき、おでこに『クィア』というスタンプを押すのを忘れてしまうんです。スタンプを押し忘れた朝には、わたし自身が口を開いて話さない限り、他の人たちにはわたしが彼ら彼女らの意見に同意しないこと、ましてや彼ら彼女らがわたしについて話すことには同意しないことを知るすべは、本当にないのです。

what has prompted my writing today has been my questioning people's constant assumption that a) I am hetero and b) I concur with their views and opinion. I would find it rather odd if a man walked up to me and expected me to agree that I should be paid less than my male counterparts. I would be baffled if a white person walked up to me and expected me to agree to use a different water fountain than my white counterparts. I would be baffled with these approaches because it should be seemingly easy for one to look at me and see that I am woman, just as it is also pretty obvious that I am black. But sometimes, I forget to put the "QUEER" stamp on my forehead on my way out the door in the mornings. So, on the mornings that I forget my stamp, I have realized that there is really no way for people to know that I disagree with their views or, even moreso, to know that they are talking about me, unless I actually open my mouth and say it.

早い話が、クィアであるかないかは外見からはわからないから、自分から言わない限り勝手に非クィアだと決めつけられて、見当違いの話にも当然同意するものと期待されてしまうというわけですね。わかる、わかりすぎる。たとえばの話、侮蔑的な「ホモネタ/レズネタ」をゲラゲラ笑いながら話されて、しかもこっちが一緒になって笑うものと期待の目で見つめられても困るんですよねホント。「彼氏はいないの?」とか、「どうして結婚しないの?」とか無邪気に聞かれるのも困る。やっぱりおでこにスタンプ押すしかないのでしょうか。

さて、Trentさんは続いて、カミングアウトが1度すれば終わりではないこと、新しく知り合った人にいちいち説明し続けなければまた「夫は/彼氏はいるのか」などと聞かれるはめになること、したがって実質的には「ネバーエンディングな」作業であることなどをユーモアを交えて説明していきます。カミングアウトがきわめて個人的なことであるということも。その上でこう付け加えるところがいいんですよ。

わたしのセクシュアリティはわたし自身のものだと信じています……そして、ここは幼稚園じゃないんですから、自分がそうしたいのでなければ、自分のものを誰とも分けっこする(シェアする)必要はないんですよね。だけどシェアするのってステキじゃない?

I believe that my sexuality is my own...and this is not kindergarten, so I don't have to share it with anyone if I don't want to. But it's nice when you share, right?

これって、「そんな個人的なことは黙っていろ」とか、「お前らが隠れていればうまくいくんだ」とかいうよくある圧力への軽いジャブだと思うんです。うまいなあ、まったく。訳文がまずいのでどこまでこの名調子が伝わっているかは謎なのですが、できれば一度原文をごらんになってください。引用してない部分も、とても面白いから。

なお、冒頭にも書いた通り、ケンタッキー州はつい最近(2014年2月27日)、米連邦地方裁判所から「他州でおこなわれた同性婚を法的に有効と認めるように」と命じられたばかりです。Trentさんのカミングアウトは、そのわずか7日前。南部の州で、しかも人種的にマイノリティの人がカミングアウトするのはさぞかし勇気がいることだと思いますが、ちょうどうまく追い風が吹いたかたちになったわけですね。おでこにスタンプ押さないと誤解されてしまう人のひとりとして、彼女のガッツに拍手を贈りたいと思います。