石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『愛しの失踪人』(サンドラ・スコペトーネ[著]/安藤由紀子[訳]、扶桑社)感想

愛しの失踪人―女性探偵ローレン・ローラノシリーズ (扶桑社ミステリー)

愛しの失踪人―女性探偵ローレン・ローラノシリーズ (扶桑社ミステリー)

掟破り、でもおもしろい

レズビアン探偵ローレン・ローラノシリーズ第3弾。38年前に消えた女性を追うローレンが、複雑な家族関係と暗い秘密を探り当てます。ミステリとしては掟破りな部分もありますが、レズビアン要素やNYの情景の鮮やかさ・的確さは圧倒的です。

レズビアン要素いろいろ

このシリーズの何が楽しいって、同性愛者が日常的に出くわす誤解や偏見が容赦なく俎上に載せられていくところ。たとえば、レズビアンは男嫌いだと決めつけて疑わない男にローレンが以下のように切り返していく場面(pp. 197-198)など、胸がすくようでした。

「男は大嫌いだったんだな?」
ほら来た。いちおう話を合わせるべきかどうか?
「あんた、レズってやつだったな?」
もう我慢ならない。「それを言うならレズビアンと言ってください」
「ああ、レズビアンだな。で、あんたたちみたいな女は男が好きじゃない。そうなんだろ? そうなんだな?」

(引用者中略)

「レズビアンでも好きな男性はいますよ。ホモセクシャルとかヘテロセクシャルとかに関係なく。なぜ男性をそんなに嫌わなきゃならないんですか? 寝る必要がないだけのことです」
彼が口をあんぐりと開ける。明らかにそんなふうに考えてみたことがないのだ。

「レズビアン=男嫌い」という偏見はいまだに根強いんですが、当のレズビアンにしてみれば、これって動物性愛者から「犬とセックスしないだなんて、お前は犬嫌いに違いない!」と決めつけられるようなものですからね。「性愛の対象にならない」ということは「嫌っている」ということとは違うのに、そこを混同されても困るというもの。

もちろんローレンとて常に機知に富む切り返しで相手を黙らせられるわけではなく、やりきれない気持ちを飲み込むときもあれば、苦笑とともに「卑劣な棘」をかわすだけにとどめるときもあります。そのあたりがかえってリアル。レズビアン側の偏見の掘り下げ方もうまく、たとえば主人公がヘテロ女性をレズビアンと間違えて大失敗するくだりなど、何度読んでもおもしろいです。

ニューヨークの風景いろいろ

お話の舞台となるのは1993年のニューヨーク。ハーヴァード卒が露天でナッツを売り、地下鉄には頭のおかしい女、通りの店はありえない速度で入れ替わり、まだエイズが死の病で、誰も携帯電話を持っていない、Windows95すらない、夏の熱気のなか「巨大な溲瓶さながらの」(p. 180)悪臭を放つニューヨーク。

スコペトーネの的確でユーモアに富む筆さばきは、読者をやすやすとビッグ・アップルの灼けた舗装道路の上に連れて行きます。あまりにも作中の景色が身近に感じられすぎて、ローレンが世界貿易センターのテロ事件について語る部分に「はて? あれは2001年では」と首をひねってしまったほど。調べてみて納得、同時多発テロよりもっと昔の、1993年の爆破事件を指しているんですね、これは。クリントン時代の話だものね。

掟破りいろいろ

半分ほど読み進めたところで、ノックスの十戒にもヴァン・ダインの二十則にも抵触するような掟破りの展開が出てきます。作者も思うところあってか、「信じられない」とローレン自身に言わせていますが、読者はもっと信じられない思いになるはず。しかしそのわずか23ページ後でまさかの掟破り二段重ね状態に突入するので、だんだん「好きにしなはれ」という気分にもなってきます。もうこの際やったもん勝ちで、おもしろければ何でもアリなんじゃないかと。

まとめ

ミステリとしての組み立てには批判もあるでしょうが、情景描写の巧みさや同性愛ネタの小気味よさなどは相変わらず群を抜いています。全体としてはとてもおもしろく読みました。