石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『捜査官ケイト 愚か者の町』(ローリー・キング[著]/森沢麻里[訳]、集英社)感想

愚か者の町―捜査官ケイト (集英社文庫)

愚か者の町―捜査官ケイト (集英社文庫)

ミステリというよりキリスト教文学

ケイト・マーティネリ・シリーズ第2弾。ホームレス殺しを追うケイトが、引用句でしか喋らない謎めいた容疑者を相手に悪戦苦闘します。聖愚者たる「フール」やその運動について多くのページが割かれる一方、謎解きやサスペンスの要素は少なめ。ミステリというより文学ととらえて、キリスト教的テーマや、聖書や文学作品からの絢爛たる引用句の数々を楽しんだ方がよい1冊かと。

フール・ムーブメント、そしてフールとしてのキリスト

ケイトが出会う容疑者エラスムスは、大文字のフール(Fool)、つまり聖愚者です。シェイクスピア劇の道化のようにたえずおどけながら、当意即妙な台詞で誰かを茶化したり、批判したり、煙にまいたりしています。この小説によると、フールとは「他者を笑い物にしたり、人が重んじている知恵や受け入れられている行動様式に疑いを投げかける」(p. 143)者とのこと。元祖フールは「貧乏人や娼婦や社会の最下層の人々を相手に説教をし、シラミをわかせ、自ら神の子と」(p. 142)名乗ったキリストだったと説明されています。

そして最後には、元祖フールとなったキリストはうやうやしく紫の衣に包まれ、イバラの冠は金の冠に代えられ、彼の教会の長に復位して、かくして変形は完了したのです。
しかし、その結果は? 道化はいつ王位につくのでしょう? キリスト教の本質は尊大さではなく謙遜であり、弱さの中にこそ人の力はあるということを人々が忘れないように、誰かがその役割を引き受けねばなりますまい。

ここがこの本の大きな伏線でもあり、テーマでもあります。非常にキリスト教的なお話なので、日本だとかなり読む人を選ぶかもしれません。非キリスト者のあたしでさえ最後のページにはじんと来ましたが、同時に「キリスト者の方ほど深い感動は得られていないかも」と思ってしまったのも事実。

乱舞する引用句

エラスムスは引用でしか喋らないという設定なので、主に聖書とシェイクスピア、時にルイス・キャロルやウィリアム・ブレークなども交えて、引用句がありえないほど多く登場します。教養に欠けるあたしは「こ……ここからここまではたぶん聖書で、ここからここまでは『十二夜』だっけ、『お気に召すまま』だっけ?」と悩みながらついていくのがやっとでした。これほどGoogle検索の恩恵にあずかりながら読んだ小説は少ないかも。もっとも、エラスムスの発言はケイトですらちんぷんかんぷんだと感じているという設定だし、いちいち調べなくても読むことはできるんですけどね。ともかく、聖書嫌い、シェイクスピアも嫌いという人には徹底的に向かない本ではあります。

個人的には『不思議の国のアリス』の引用文が子供の頃読んだ岩崎民平訳から採られているのがちょっとうれしかったです。文学や歴史の素養のある方なら、もっとそこここで「おお、これはあの本のあの箇所」といううれしさを味わえるのだろうな、と思います。

ミステリとしては平板

いちおう連続殺人ものではあるのですが、展開にスピード感がなく、パズルやサスペンスの要素も希薄です。したがって、ミステリまたはクライム・ノベルとして高く評価することは難しいかと。エラスムス以外の登場人物の掘り下げが少ないところも残念でした。ケイトは生真面目なだけ、ホーキンは主に電話の向こうにいてたまに「悪い警官」役をやりに出てくるだけといった印象で、第1作ほどのいきいきとした魅力が感じられないんです。

レズビアン要素に関しては、1巻の最後で触れられていた「モーニングスター事件」を既に終わったこととして語るという工夫がよかったです。やはり、同性愛をスキャンダラスなものとしてとりあげる意図はないんですね、このシリーズは。ケイトとリーの間に微妙にすきま風が吹いているところも、今後の伏線として楽しく読みました。でも、できれば恋愛方面だけでなく、事件解決への伏線や驚きをもう少し入れてほしかったと思います。

まとめ

エラスムスという男をたんねんに描くことで「聖なる愚か者」とは何かというキリスト教的テーマを強く打ち出している文学作品。知的・宗教的小説としてはおもしろいのですが、ミステリとしては物足りないし、ある程度の教養がないと読んでいて息切れしてしまうことも確か。エラスムス以外のキャラクタの掘り下げが甘いところも気になりました。シリーズ最高傑作とは言いがたく、5段階評価だと3ぐらいでしょうか。