石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『咲-Saki- (6)』(小林立、 スクウェア・エニックス)感想

咲-Saki- 6巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)

咲、ダイハードな復活。百合はホモフォビアなし

美少女麻雀百合漫画、第6巻。県予選決勝のオーラス直前まで。ある方法で完全復活した咲が快調に反撃する一方、衣は「心を折る」麻雀が対戦相手たちの百合パワーに勝てず苦境に。この百合がどれもこまやかで、かつホモフォビアが一切出て来ないところに脱帽。

咲の変貌と反撃

5巻での和とのやりとりで調子を取り戻した咲ですが、「靴下を脱ぐ」という方法でそこからさらにリラックスするという設定が面白いと思いました。何かを思い出すと思ったら、これ『ダイ・ハード』だ!

ほら、映画序盤で、ジョン・マクレーンがナカトミ・ビルで靴と靴下を脱いでリラックスしようとする場面があるじゃないですか。飛行機でビジネスマンから教わった通りに。で、実際あれで緊張が解けるんですよね。靴下を脱いで裸足になったときの解放感を知らない人はめったにいないので、これはなかなかうまい演出だと思います。咲の場合、ガラスを撃って妨害してくる敵はいないわけですから、彼女がこれで無敵になるのはいわば必然。「足の裏を怪我しないジョン・マクレーン」なんですよ、ここからの咲は。

百合にホモフォビアなし

華菜と美穂子、桃子とゆみの両ペアの回想シーンが共に繊細でよかったです。特に後者の、ゆみが、

桃子「もしあさっての県予選で負けちゃったりしたら 私と先輩が一緒にいる意味ってなくなっちゃうんすか?」

ゆみ「…それは…」

桃子「こんな時間もなくなっちゃうんすかね」

という会話(pp. 56-57)を思い起こし、桃子の問いに即答できなかった自分を「卑怯なのか臆病なのか」と評する場面にははっとさせられました。百合漫画における「この先一緒にいられるのか」という葛藤描写で、ここまでホモフォビアの気配がないのって珍しいと思います。

「女同士だから」一緒にはいられない(かも)というテンプレに落とし込んだ方が表現としては楽(前例が腐るほどありますからね)でしょうし、ホモフォビックな読者もウハウハ喜ぶだろうに、この作品は決してその手を使っていないんです。ゆみの逡巡はあくまでゆみ個人のヴァルネラブルな恋心(と言っちゃいますよ、もう)からくるものであって、ジェンダーの組み合わせは無関係。そこが新しいし、きわめてフェアだと思いました。

「愛が絶望に勝つ」というテーマ

拉ぎ折ったはずの心が何かに繋ぎ止められている!!

という独白(p. 64)とともに、衣の「相手の心を折る」という戦法に翳りが見え、そこから話が大きく転換していきます。この対戦相手たちの心を繋ぎ止めている「何か」とは、それぞれがパートナーとの間にはぐくんできた愛にほかなりません。キャラたちの百合なあれこれは単なる賑やかしではなく、決勝戦のテーマにかかわる重要要素だったわけ。

言ってしまえばベタなんですが、このテーマとは、「愛が絶望に勝つ」ということ。原始人にもわかる、根源的で強いテーマ。それをこれだけ緻密にエピソードを積み重ねて表現していくというのが、この作品の底力なのだと思います。

まとめ

複数カップルの百合なフラッシュバックでお話の転換点を作り、テーマを力強く打ち出していく巻。ラブストーリーとしてもバトルものとしても、そして思春期の成長物語としてもよくできていると思います。百合シーンにホモフォビアの気配がまったくないのもうれしいところでした。

咲 Saki (6) (ヤングガンガンコミックス)

咲 Saki (6) (ヤングガンガンコミックス)