石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

ヨーグルトも、鎮痛剤も、そしてGoogleも。大手ブランドがLGBT要素のあるCMを続々発表

Chobani
Chobani / mealmakeovermoms

6月のLGBTプライド月間に合わせ、今年もいろんな企業がLGBT要素ありのCMをリリースしてます。以下にいくつかご紹介。個人的にはギリシャヨーグルトのCMが好きすぎて、自分もベッドにヨーグルトを持ち込もうかと思ってしまうほどでした。

ギリシャヨーグルト「チョバーニ」のCM

「チョバーニ・シンプリー100」という、1カップ100kcalのヨーグルトのCMです。(詳細:Chobani's new ad has a lesbian couple enjoying Greek Yogurt in bed - AfterEllen


鎮痛剤「タイレノール」のCM

監督は映画『ミルク』の脚本家、ダスティン・ランス・ブラック。(詳細:This new Tylenol commercial featuring gay dads will melt your heart | Gay Star News


GoogleのCM

カンザス州のトランスジェンダー男性、ヘイリー・ブランド・ウォルシュさんが登場。(詳細:Transgender man the focus of new Google ad - NY Daily News


以下蛇足

このようなCMが世に流れると、「LGBTでも別にいいと思うが/差別する気はないが、LGBTであることを公然とひけらかすのはどうかと思う」などと言い出す人が必ずや出てくることと思います。そのような方々には、『〈同性愛嫌悪(ホモフォビア)〉を知る事典』(ルイ=ジョルジュ・タン編、明石書店)の「露出症」の項目(p. 591)が参考になるのでは。以下にちょっとだけ引用しておきます。

公私の区別を規定しているさまざまな約束事は、ある者に対して機能する場合と、また別の者たちに対して機能する場合とで、不平等であることが分かる。異性愛者は、自分たちの異性愛の徴をどんなものでも露出することができるという社会的特権を享受している(婚姻公示、指輪、家族での外食、社交界への参加、職場でのお喋り、など)。そして自分たちが社会に合致しているということで、露出症と見なされることもなく、あたう限りの象徴的な利益を得ているのである。逆に発言者が同性愛者である場合、同性愛者が個人的にせよ集団的にせよ公然化する場合、いつでもそれは、すべて時宜を逸した場違いで不作法な行いと見なされる。

多くの社会的な振舞いが、例えば街頭でパートナーと手をつないだり、同僚にパートナーのことを話したりといった何でもないことが、異性愛者の大半にとっては完全に「自然な」ことであるのに対して、ゲイやレズビアンの場合となると、露出症の一形態ということなって耐えがたいものだとみなされる危険があるのは明らかである。しかし、もしも多くの人が少なくとも公式には認めているように、同性愛が本当に正当だというのなら、そのような露出症は実は表現の自由の純然たる行使であると考えられなければならないはずである。異性愛者は自覚していないかもしれないが、その自由を特権的に享受しているのである。

上記引用文の「異性愛者」を「シスヘテロ」、「同性愛」や「ゲイやレズビアン」を「LGBT」と言い換えても、まったく同じことが言えると思いますよ。

〈同性愛嫌悪(ホモフォビア)〉を知る事典

〈同性愛嫌悪(ホモフォビア)〉を知る事典