石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

ゲイ男性「なぜ私をクロゼットに戻したいのか」とマルコ・ルビオに質問→ルビオ、まともに答えられず

Marco Rubio: A Biography (English Edition)

共和党の米大統領候補で同性婚反対派のマルコ・ルビオ(Marco Rubio)上院議員が2016年2月8日、ニューハンプシャーのゲイ男性から「なぜ私をクロゼットに戻したいのか」と質問され、辻褄の合わない返事をして会話を打ち切りました。

詳細は以下。

Gay Voter to Marco Rubio: 'Why Do You Want to Put Me Back in the Closet?' - First Draft. Political News, Now. - The New York Times

ルビオ候補はこの日、同州の食堂「ピューリタン・バックルーム」(Puritan Backroom)を訪れていました。夫と共にその食堂に来ていたゲイ男性で3児の父のTimothy Kiersteadさん(50)は、同候補にこんな質問を投げかけました。

「どうしてあなたはわたしをクロゼットに戻したがっているのですか?」

“Why do you want to put me back in the closet?”

ルビオ氏はこれに対し「あなたはどんな風にでも好きに生きればいい」と返事。しかし、氏は実際には同性カップルの法的権利を剥奪しようとしているわけですから、意味が通りません。Kiersteadさんは、同議員の見解は自分たちのことを「どうでもいい」と言っているのと同じだとして反論しました。ここでルビオ候補が返したことばが、なんだか支離滅裂なんですよ。

「いいえ、わたしはただ結婚はひとりの男性とひとりの女性の間のものだと信じているだけです」

“No, I just believe marriage is between one man and one woman.”

「法律はそうあるべきだと思っています。あなたが賛成しないのなら、立法府によって法律を変えさせるべきです」

“I think that’s what the law should be. And if you don’t agree you should have the law changed by a legislature.”

「法律を変えさせる」も何も、米国では既に連邦最高裁が結婚防衛法(結婚はひとりの男性とひとりの女性の間のものだと定めた連邦法)は違憲と判断してるんですけど。それにニューハンプシャー州議会だって、2009年には早くも同性婚を認める法律を可決してるんですよ。ルビオ議員ってば、米国がいまだに同性婚を禁止している平行世界のご出身だったのかしら。

ちなみにKiersteadさんが「法律はもう変わっている」と指摘すると、議員はこの会話を打ち切ろうと決めたらしく、「あなたの見解を尊重します」とだけ言って歩き去ったとのこと。「典型的な政治家だな」とは、Kiersteadさんの弁。

たまたま昨日ロバート・B・パーカーの『初秋』を読み返していたあたしとしては、ルビオ議員のとんちんかんな回答っぷりに、典型的な「世に受け入れられる回路に自分のプラグを差し込むだけ」の人だなあと思いました。『初秋』は主人公の探偵、スペンサーが、15歳の少年ポールを愚かな両親から救い出し自立させる物語なのですが、両親がダンスや料理などについてホモフォビックなことばかり言うのは何故なのかと問うポールに、スペンサーは以下のように答えるんです。

「なぜなら、その程度の頭しかないからだ。自分たちがなんであるのか、あるいはそれを見いだす方法を知らない、立派な人間とはどんな人間であるのか知らないし、それを知る方法を知らないからだ。だから、彼らは類型に頼る」

「つまり、きみのお父さんは、たぶん、自分が立派な男であるのかどうか確信がもてないし、そうではないかもしれない、という疑念を抱いているのだろう。そうでないとしたら、彼はそのことを人に知られたくない。しかし、彼は、どうすれば立派な人間になれるのか、知らない、だから、誰かから聞いた単純なルールに従う。自分で考えるより容易だし、安全だ。さもないと、自分で判断しなければならない。自分の行動についてなんらかの結論を下さなければならないし、その結果、自分が考えたことが守れないのに気づくかもしれない。だから、安全な道を選んだらいいじゃないか、と考える。世に受け入れられる回路に自分のプラグを差し込むだけで済む」

かりにお父さんが、自分はバレエが好きだとか、息子のおまえがバレエが好きだ、と人々に言った場合、彼は、あれは男がやるものではない、という男たちに出会う危険を冒すことになる。その場合、彼は、男とはなんだ、それも立派な男とはどういうものか、考えなければならないが、彼はその答えを知らない。そう考えてくると、彼はひどく脅える。お母さんの場合も同じだ。だから、彼らは、世間一般に通用すること、その問題を避けることのできる因襲的な考え方に固執するし、それで満足かどうかはわからないが、少なくとも崖の縁から下をのぞかなくてすむ。心底から脅える必要がなくなる」

おそらく、「家族とはなんだ」「それも立派な家族とはどういうものか」の答えを知らなかったり、それを見いだす方法を知らなかったりする人にとっては、「結婚はひとりの男性とひとりの女性の間のもの」という回路にプラグを差し込んでそれ以上何も考えないというのは一種の大事なサバイバルスキルなのでしょうね。しかし、仮にも一国の舵取りをしようという大統領候補がこんな思考停止っぷりを晒し、スペンサーの言うところの「脅えているか、愚かか、あるいはその両方」的な応答を見せてしまうというのは、あまり賢いこととは言えないのでは。もちろん、「脅えているか、愚かか、あるいはその両方」の有権者からの票集めを狙ってのことなのかも知れませんが。ニューハンプシャー州での予備選のゆくえが大いに気になるところです。