石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

ぶっちゃけあのベッドシーンはレズビアンから見てどうなのか―映画『キャロル』5回目鑑賞後の感想(ネタバレあり)

Carol

※初回~4回目鑑賞後の感想はこちら:

  1. 誰も死なない(!)極上のラブロマンス― 映画『キャロル』感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く
  2. 変化する人、しない人、そしてテーマの普遍性―映画『キャロル』2回目鑑賞後の感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く
  3. そろそろ官能の話もしようか―映画『キャロル』3回目鑑賞後の感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く
  4. あのウインクを見逃すな―映画『キャロル』4回目鑑賞後の感想(ネタバレあり) - 石壁に百合の花咲く

レズビアンはあのようにセックスするのか、しないのか(プラス、5回目の鑑賞で気づいた点いろいろ)

今回の感想は主に「『キャロル』のベッドシーンがレズビアン(または、女性が好きな女性)からどう評価されているか、そして自分はどう思うか」について。ほか、5回目の鑑賞でようやく気づいた細かな作り込みについてもいくつか述べます。

ベッドシーンがおとなしすぎるという意見あれこれ

基本的には多くのレズビアン(または、女性が好きな女性)から大絶賛を受けている本作品ですが、中には「ベッドシーンがもっと情熱的であってほしかった」という意見もあるようです。

たとえばジャーナリスト兼作家のアリエル・ゴア(Ariel Gore)さんは、『キャロル』観賞時に「レズビアンはあんな風にセックスしない」と叫び出しそうになり、隣に座っていた奥さんに取り押さえられたとNerveで書いています。要約すると、こんな感じです。

  • レズビアンはあんな風にセックスしない。
  • あれじゃ、「女同士の間に性交はない」とか「レズビアンのセックスは(男女の)結婚前の『ヘビー・ペッティング』程度のもの」とかいうファンタジーが、今もまだ健在だということになる。
  • そのファンタジーのせいで、自分は20代の頃初めて女の子とセックスしたとき、女同士はハグしてキスして手をつないでそーっと舐めるだけでいいと思っていて、結果としてふたりともものすごい欲求不満のまま眠るはめになった。
  • 後になってわかったことだが、実際には女は男と同じぐらいアグレッシブにも貪欲にもなりうるし、女性同士のセックスは少なくとも異性同士のセックスと同じぐらいみだらなものでありうるのである。

また、ライターのサラ・マーロフ(Sarah Marloff)さんも、AfterEllenで似たような趣旨の意見を述べています。以下、引用。

『キャロル』には、女性は情熱的にはなりえないとか、だからレズビアンのロマンスは繊細で、静かで、控え目なものなのだとかいう主流文化の信念を黙らせてほしかった。そのような信念は、でたらめなのだ。

『アデル、ブルーは熱い色』のアブデラティフ・ケシシュ監督による描き方がお下劣すぎた(あの7分間の、ほとんどポルノみたいなセックスシーンのことですよ)としたら、キャロルのトッド・ヘインズ監督の描写は安全すぎた。50年代でさえも、ときにはレズビアンが情熱で我を忘れることはあったはずなのに。

I wanted Carol to silence mainstream culture’s belief that women can’t be passionate and, therefore, a lesbian romance must be subtle, calm, controlled. That’s a lie.

If Blue is the Warmest Color’s director, Abdellatif Kechiche played it too risque (that seven-minute, almost porn-like sex scene anyone?), then Carol’s Haynes played it too safe. Surely, even in the fifties, passion got the best of lesbians sometimes.

わたくし個人の見解

『キャロル』のベッドシーンはたしかにおとなしやかですし、レズビアンセックスに関する世間のまちがった思い込みに関しても、アリエルさんとサラさんのおっしゃることには大いに同意できます。それでもなお、この映画のセックス描写はあのままでいいし、十分リアルだし、1ミリたりとも変えてほしくないと自分は思っています。

というのは、映画『キャロル』でもっともエロティックなのはベッドシーンそのものではなく、上品で抑制のきいた描写の中に常にたぎるような情熱と欲望が透けて見えるという二重構造だから。最初から最後まで一瞬の隙もなく続くこの絶妙のバランスを崩してまでレズビアンセックスのアグレッシブさだの、貪欲さだの、みだらさだのを前面に押し出す必要はないし、そんなことをしたらかえってあの計算され尽くしたエロティシズムが台無しになってしまうのでは?

中島梓が以前「JUNE」で連載していた『小説道場』の中で、道場への応募作品のセックスシーンがあまりにあけすけなものばかりであることに閉口し、「手ひとつ繋いでいないのに地獄のようにエロい」という表現だって可能なはずだと苦言を呈していたように思います。『キャロル』を初めて見たとき、セックスのセの字もないうちから心拍数が上がりまくって、あの「手ひとつ(略)」というのはまさにこのことかと思いました。5回見た今でもその感想は変わりません。ベッドシーンももちろん大切ですが、あれはいわば画竜点睛の「睛」に相当する部分、つまり全体的なエロティシズムの最後の仕上げであって、そこで竜の睛(ひとみ)をことさら派手派手しく描く必要はないと思うんですね。睛は、点を打つだけでいいんです。

さらに言うと、登場人物がスクリーンに映し出されることしかしていないと解釈することにも大いに疑問がありますし(あの時点まであんなに激しい"eye sex"*1を繰り広げてきたキャロルとテレーズがあれしかしていないと思うの? 本当に?)、アリエルさんの若き日の残念な経験の話に至っては、「お気の毒ですが、それは単にご自分が想像力不足で下手だったというだけのことでは……」としか思えませんでした。フィクションはセックスの教科書ではないのだから、映画内でのレズビアンセックスが必ずしも「レズビアンがベッドですること全カタログ」の役割をつとめる必要はないはず。それでもまだ「ヘテロの想像だけで作った、馬鹿げた『レズビアン』ポルノ*2」に堕するよりはましかもしれませんが、よりによって『キャロル』でそれをやらなくてもいいし、やってほしくないと自分は思っています。

その他色々な方のご意見

AfterEllenのユーザ、Bean67さんが、上記サラ・マーロフさんの記事につけたコメント。

キャロルが物足りないという人には、トッド・ヘインズのみごとな構成や演出(それらがずっとストーリーを盛り上げているのです)があなたにとって無駄にならないよう、映画のクラスをひとつかそれ以上取ったり、ハイスミスの作品をたくさん読んで、彼女の全体的な傾向や、危険や犯罪要素についての考え方を理解したり、マッカーシー時代について本を読んで勉強したりすることを勧めます。この時代には、何もかも秘密のうちにやらなければならなかったんです。キャロルとテレーズがお互いを見つめるときの欲望のこもった視線は、とてもたくさんのレズビアンテーマの映画の中でむき出しに描かれている薄っぺらな感情ほど共感を呼ばないかもしれませんが、映像の読み解き方がわかれば、キャロルには10倍の価値があります。

To those who want more from Carol I suggest taking a film class or several so that Todd Haynes' masterful framing and mise en scene (which lend endlessly to the story) are not lost on you, read a lot of Highsmith so that you understand her tone and the idea of the menace or the criminal element, and read up on the McCarthy era. Everything had to be played beyond close to the vest. Those long looks of desire between Carol and Therese may not resonate as much as the gauzy emotion laid bare in so many lesbian-themed films, but if you know how to read an image, Carol will reward you 10-fold.

これには大変うなずけます。『キャロル』における性的な情熱って、いわばいちご大福のいちご部分だと思うんですよ。柔らかいお餅と上品な餡にそっと包み込まれたいちごが外からほんのり透けて見えていて、ひと口食べればジューシーな果汁がほとばしるという仕掛けになってるんです。トッド・ヘインズ監督が「いちご」をむき出しでいきなり丼に持って出すのではなく、餅や餡でひと仕事加えて供したことの意味は、50年代という時代設定を抜きにしては絶対に語れないでしょう。そこに現代の感覚で「もっといちごを丸見えに」とか「外からはっきり見えないといちごが入っていないと思われる」とか言うのは、ちょっと違うんじゃないかなー。

次に、アリエル・ゴアさんの記事について、同じくAfterEllenのコメント欄で展開されていたLa LunaticaさんとLesberattiさんのやりとりをどうぞ。

うーん、レズビアンセックスを本当にうまく描いているとレズビアンたちが言っている映画のリストをもらえる?

Hmmm, can I get a list of movies that actually have done a good job of portraying Lesbian sex according to Lesbians?

リアルな描写があるのはほんの少ししかない。バウンド、The Girl Who Played With Fire、キャロル、あと、それほどではないけれどElena Undoneや月の瞳。

There are only a few with realistic portrayal: BOUND, The Girl Who Played With Fire, Carol to lesser extent Elena Undone, When Night Is Falling.

これにもおおむね同意。ちなみにあたしの周りで他に「リアルだ」と好評を博しているのは、スウェーデン映画Kiss Meg(英題:Kiss Meトレイラーはこちら)のレズビアンセックスです。ご参考まで。

その他、5回目の鑑賞で新たに気づいたこといろいろ

キャロルの口パク"I love you."

冒頭のリッツ・タワー・ホテルの場面をよくよく見ると、ジャックに声をかけられる前に、キャロルの口が"I love you."のかたちに動いているのがわかります。つまり、終盤で同じシーンが別のカット割りで再現されるときにキャロルが口にするこの決め台詞が、実はここでもう出てきていたのでした。ホントに細かい仕事してるわ、トッド・ヘインズ。

"You Belong to Me"のタイミング

3回目の鑑賞後の感想で、「作中で使われているオールディーズの歌詞は、どれも恥ずかしいほどベタにふたりの恋の進み具合を示している」と書いたのですが、1曲だけ少し疑問に思っていたものがありまして。映画内で"You Belong to Me" (Helen Foster & The Rovers)のかかるタイミングが早すぎるような気がしてたんです、実は。

"You Belong to Me"は、これから遠くに行くとおぼしき恋人に「離れているとお互いさびしいだろうけれど、いつでもあなたはわたしのもの(大意)」と甘くよびかけるラブソングです。『キャロル』の中でこれがかかるのは、テレーズが初めてキャロルの車に乗せてもらって、クリスマスツリーを買いに行く場面。離れるどころか初めてふたりきりになった高揚感に満ちあふれたこの場面でなぜこの曲なのだろうかと思っていたのですが、今回の鑑賞で謎が解けました。

ツリーを買いに行く途中、車がトンネルに入るあたりで、一瞬だけフラッシュバックで1953年4月のテレーズの映像が出てくるでしょう。ほら、フィルのパーティーに向かう途中の、水滴のついたガラス越しに外を見ているテレーズの顔が。"You Belong to Me"は、このときのテレーズの心情を表しているんです。つまり、キャロルの"I love you."ということばに答えそこなってすれ違ってしまった4月時点の彼女が、先が見えない不安の中でそれでも過去を回想しつつ「いつでもあなた(キャロル)はわたしのもの」だと感じているということなんですよ。そう思うと、映画のラストシーンがああなることは、実はここで既に予言されていたとも受け取ることができます。"You Belong to Me"はただ単にあのタイミングでカーラジオから流れていた曲というわけではなく、やはり意味があったんです。

鏡の小さな花

ウォータールーのホテルで初めてキャロルがテレーズにキスする場面で、よく見るとふたりの前にある鏡に小さなお花の模様がついていることがわかります。さらによく見ると、キャロルが身をかがめてテレーズに唇を重ねる直前、鏡の中ではふたりの重なった手のところにちょうどこのお花が来ていることもわかります。

一連の感想で何度か書いてきましたが、この映画における手の表現は肉体関係の暗喩です。ふたりの重ねた手と手のところに花模様がかぶさるというのは、つまり、もろにそういう意味。ここでの映像は、心と体が(ついに)つながってふたりの恋が花開く瞬間を暗示し、観客の意識を誘導しているんです。

映画終盤でテレーズと久しぶりに再会したキャロルが、テレーズの成長ぶりを「急に花が咲いたみたい」と褒め、「わたしと離れたから?」と訊く場面があるでしょう。そこの答えも、この時点でもう用意されてたんですね。テレーズが花開くことができたのは、キャロルと離れたからではなく、キャロルと出会ったからだったというわけ。

まとめ

5回見て5回とも面白かったし、それどころか毎回新たな発見があってむしろ尻上がりに面白さが増しているしで、本当によくできた映画だと思います。ベッドシーンに関しては、鼻血が出るかとさえ思った1回目の鑑賞後に上の方で引用したような否定的見解を知って驚き、その後4回念入りに見直してみたものの「やっぱりこれでいいんじゃね」としか思えませんでしたよあたしには。それで、これまでに考えたことをざっとまとめてみたのが今回のこの感想です。同じレズビアンでも、人によって思うことはずいぶん違うもんだよなあ。

*1:"eye sex": 海外のレズビアン・フィクションのファンの間でよく使われる用語で、「目と目を見交わしただけでセックスしたも同然のケミストリーが生じている状態」のこと。

*2:それをやらかしたとして原作者から大顰蹙を買ったのが『アデル・ブルーは熱い色』です。ただしレズビアン・コミュニティの中では映画そのものについても、またこの原作者の意見に対しても賛否両論あります。