石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

ナレーションはアホだが映像は必見。1950年代の同性愛ドキュメンタリーフィルム

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1950年代につくられた同性愛に関するドキュメンタリーフィルムの一場面とされる動画がYouTubeにアップロードされ、話題を呼んでいます。ナレーションこそ偏見に満ちていますが、映像は当時の同性愛者の生き生きとした姿をよくとらえています。

詳細は以下。

This Delightfully Offensive Clip From A 1950s Antigay Documentary Is A Must-Watch / Queerty

動画はこちら。

どうせゲイ男性の映像ばかりだろうと思いきや、レズビアンもかなりたくさん映っていてびっくり。カップルで踊っている人も多く、パトリシア・ハイスミスが小説『キャロル』出版後に読者から寄せられた手紙についてこう書いていたことを即座に思い出しました。

わたしの元へ届いた多くの手紙には次のような内容が書かれていた。「こういう小説で幸せな終わり方をしたのは、あなたの作品が初めてです! わたしたち全員が自殺するわけではなく、多くは元気に暮らしています」

「元気に暮らして」いた当時の同性愛者の姿が、すなわちこの映像なのでは。ひょっとしたらこのバー(?)の人々の中に、赤毛のステーキハウス所有者を狙っている、いけてるレズビアンが混じっているかもね。

しかしながらこの動画、ナレーションの方はかなりひどいレズビアン嫌悪に充ち満ちていたりします。訳すとこんな。

「どんな根深い感情が原因で、彼女たちは男性とのつきあいから完全に離脱し、その一方で男性的な外見を真似して、こんなみじめな結果に陥っているのか? これらの感情は世慣れた態度の下に隠されているが、それでもなお、根底にある悲しみは誰にでもわかる」

“What are the deep-rooted emotions that remove them completely from the company of men, yet at the same time cause them to emulate the masculine appearance, to such pathetic results? Even though these emotions are covered up by a blasé attitude, one is still aware of their underlying sadness.”

見当違いにもほどがあるというもの。こういう誤解って、当時から半世紀以上たった今でもマスキュリンな服装を好むレズビアンがよく出くわす(『男が嫌いなのになぜ男のような格好をするの? 本当は男を求めてるんじゃないの?』とかなんとかね)ものですが、マスキュリンな格好をするレズビアンは、ただそういう格好をするのが快適だからそうしているだけですよ。レズビアンはヘテロ女性と違って、「こんな格好をしたら男性様のお気に召しませんよ」という規範を気にする必要がないので、より自由に服装を選べるんです。ブッチな格好が好きならブッチな装いを、フェムな格好が好きならフェムな装いをする、ただそれだけ。単に異性愛者のステレオタイプ通りにふるまっていないからという理由で、「根底に悲しみがある」とかなんとか決めつけてんじゃないわよ、失礼な。

QueertyにもYouTubeにもこの動画の出所やドキュメンタリーのタイトルは記載されていないので、これがどのような意図で誰が撮った映像なのかはわかりません。ひょっとしたら完全なフェイクかもしれませんが、とりあえずこの映像が本物で、幸せそうに踊るカップルたちが実在の人物だといいな。幸せな同性愛者像って、本当に長いこと、「なかったこと」にされてきたんですからね。