石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

小説『黄昏の彼女たち』(サラ・ウォーターズ[著]、中村有季[訳]、東京創元社)感想

黄昏の彼女たち〈上〉 (創元推理文庫)
黄昏の彼女たち〈下〉 (創元推理文庫)

パワフルなレズビアン小説にしてクライム・サスペンス(ただしオチはやや弱め)

1922年の英国を舞台とするミステリ。レズビアン小説であり、不倫小説であり、犯罪ドラマでもあります。強烈なサスペンスや扇情的なまでの官能描写はさすがですが、オチはやや拍子抜けでした。狙ってこうしたんだろうな、とは思うんですが。

ラブロマンスとしての『黄昏の彼女たち』

この物語の主人公は没落した上流階級(貴族ではなくミドルクラス)の娘、フランシス。経済的な理由から、母と共に暮らす屋敷にレナードとリリアンのハーバー夫妻を下宿させた彼女は、リリアンと恋に落ちます。女性同士のラブロマンスとして読むなら注目すべきは第1部で、欲望の描写の繊細さや、まさかのタイミングでのエロティックな急展開には感嘆を禁じ得ません。男性キャラたちの欲情がどこか自己中心的な一種のディスプレイとして描かれているのに対し、フランシスのそれはもっとこまやかで私的なものであるという対比もおもしろいです。もっとも印象的だった場面は、レズビアンものでこれまでさんざん使い古されてきた「吸血鬼」ネタを逆手にとって、リリアンにあるしぐさをさせるところ。斬新で、かつ情景がありありと目に浮かぶ、よいシークエンスでした。

クライム/サスペンス小説としての『黄昏の彼女たち』

3部構成のこの小説では、第2部でとある事件が起こり、第3部ではその事件の捜査と裁判を中心とした心理劇が展開されます。「フランシスとリリアンが隠している秘密はばれるのか? それとも、ばれないのか?」というハラハラ感をエンジンにして物語を一気呵成に進めていくさまは、まったくみごと。あたかも第1部と対をなすかのように、女性同士の恋愛やセックスにおける「魔法のかかっていない」(p. 342)状態が容赦なく描かれていくのも心憎いところです。このあたり、「女同士だからこそわかり合える」だの「女同士ならではのツボを心得た云々」だのとかいう底の浅いファンタジーとはひと味もふた味も違っています。

本作品ではサラ・ウォーターズらしい視覚的な表現で戦後当時の英国の風物がみっちり書き込まれているため、正直言って上巻(第2部の途中まで)を読み終わるにはかなり時間がかかりました。頭の中に浮かぶ映像に見とれたり、屋敷の中のこまごまとした物の描写を丹念に読んだりしていると、楽しい反面疲れてしまって。ところが第2部以降は、特に第3部は、先が知りたい一心でおそるべき速度で一気読みしてしまいました。最後の10ページまでまったくオチの予想がつかず、読み終わるまで眠るどころか本を置くことさえできないぐらいでした。

ただね、さあ悲劇か、ハッピーエンドかと意気込んでいざたどりついたそのオチが、かなり張り合い抜けするものだったんですよねえ……。

オチについて(ネタバレなし)

『荊の城』『半身』のようなはっきりした終わり方を予想していると、ある意味肩すかしをくらうと思います。あたしはしばらく唖然としてから、T.S.エリオットの詩のこの部分を思い出したりしていました。

This is the way the world ends

Not with a bang but a whimper.

そう、ドカーン(bang)とではなくメソメソと(with a whimper)終わる物語なんです、これって。

思えば、上巻の序盤(p. 46)でフランシスが<タイムズ>紙を読みながら内心でつぶやく以下のモノローグが、この結末を暗示していたとも言えましょう。

戦時中なら若気の至りで何か行動を起こしていたかもしれない。投書をするとか、集会に出るとか。だけど世界はもはや複雑になりすぎて、問題はもうどんな解決も受け付けない気がする。

本作品の時代設定が第一次世界大戦直後なのも、英国の階級社会(の揺らぎ)やフランシスの兄弟の死が話に暗い影を落としているのも、たぶん、すべてこの結末につながっているのだと思います。おそらく、この昏く不条理な世界では、もはや愛や正義ですら万能薬にはなりえないということを作者は示したかったんじゃないかな。好みではないけれど、とりあえず納得できる幕引きではありました。

まとめ

ロマンスもサスペンスも一級品ですが、結末でかなり好みが分かれる作品だと思います。個人的には、『荊の城』や『半身』の評価をA+とするなら『黄昏の彼女たち』はB+ぐらい。『夜愁』『エアーズ家の没落』よりもこちらの方が好きです。これからゆっくり読み返して、濃厚な作品世界をもう一度楽しませてもらおうと思ってます。

黄昏の彼女たち〈上〉 (創元推理文庫)

黄昏の彼女たち〈上〉 (創元推理文庫)

黄昏の彼女たち〈下〉 (創元推理文庫)

黄昏の彼女たち〈下〉 (創元推理文庫)