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石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャー。

『ネヴァーランドの女王』(ケイト・サマースケイル[著]、金子宣子[訳]、新潮社)感想

百合/レズビアン 書籍

ネヴァーランドの女王 (新潮クレスト・ブックス)

大富豪の男装レズビアン、“ジョー”・カーステアズの伝記

1920年代に国際的なモーターボートレースで活躍したのちカリブ海の島を買い取り、そこで「ザ・ボス」として君臨した男装のレズビアン、“ジョー”・カーステアズの伝記。彼女の型破りな生涯も、その背後にある当時の社会の変遷も、ともに面白いです。

ジョー・カーステアズという女

メアリアン・“ジョー”・カーステアズは1900年生まれの英国人。生涯男装を通したレズビアンで、百人以上の女性と浮き名を流し、交際相手にはオスカー・ワイルドの姪のドリー・ワイルドや、女優のマレーネ・ディートリッヒもいたそうです。石油成金だった祖父の莫大な財産の相続人である彼女は父親の顔を知らず、母親とも疎遠で、「11歳で家族を捨て」(本人の弁)たのちさまざまな冒険に乗り出します。第一次世界大戦中には16歳にしてフランスで救急車の運転手を務め、女子輸送部隊での軍務も経験。戦後も潤沢な資金を生かして女性だけのハイヤー会社「Xガレージ社」を起業したり、ボートレーサーとして「世界最速の女王」となったりして、かなりの著名人となります。

その彼女が突然世間の表舞台から姿を消したのは1930年代のこと。英領西インド諸島の小島、ホエール島を購入し、そこの「女王」となったんです。荒れ果てていた島に道路や農園を作り、椰子を植え、学校や博物館や病院を建て、島民たちから「ザ・ボス」と呼ばれて君臨する彼女の姿は、さながら冒険小説の主人公のよう。ちなみにジョーは島に住み着いた後でもとっかえひっかえ女性をベッドに連れ込み、らんちき騒ぎのパーティーも続けていたそうです。何ですかこの冒険ダン吉のモテモテブッチダイクバージョンは。こんなことが現実に可能で、しかも女性/レズビアンがそれをやっていたということには大いに驚かされました。なんでこの人、今の世でもっと知られてないの?

そうそう、さきほどジョーの冒険ぶりを「冒険ダン吉」と書きましたが、実を言うとあたしがジョーのキャラクタからもっともダイレクトに連想したのはダン吉というより長くつ下のピッピでした。船と海を愛する自由奔放なホラ吹きで、世界一力持ちでお金持ちな女の子。ホエール島はジョーにとっての「ごたごた荘」であり、ジョーが生涯大事にしていたシュタイフの人形「トッド・ウォドリー卿」はニルソン氏だったのかもしれません。

20世紀の社会的背景

ピッピを思わせるほどファンタジックで波瀾万丈に見えるジョーの生涯も、その時々の社会的な背景からまったく自由とは言えませんでした。むしろ、その逆。まず、戦中戦後にジョーのような断髪・男装で働く女性たちが非難されず、「近代女性」ともてはやされたのは、大戦による男性の絶対数不足のせいだったりします。そして、1920年代のパリやロンドンの社交界でジョーの女性関係が問題視されなかったのは、「この世界では乱脈な性関係が粋とされ、同性愛も大胆で新鮮だとみられていた」(p. 107)ため。これが1930年代になると、状況はがらりと変わります。

第二次世界大戦中に男手が払底した米国や日本で、女性がそれまで「男の職種」とされていた分野で働くことが称賛され、戦後、社会が落ち着くと「女は家庭に帰れ」と手のひら返しされるということがありましたよね。それと同じことがこの時代にも起こりました。男性的な「新女性」たちへの不安や反感が強まり始めたんです。

特に決定的だったのは、1928年に出版されたラドクリフ・ホールの『孤独の泉』(The Well of Loneliness)がわいせつだとして英国で発禁となったこと。この小説のメインキャラクタは男装のレズビアンで、これを機に社会には「男らしい女」は性的倒錯者だという認識が広まっていきます。以前はジョーのボートレースの腕を称えていたメディアも、彼女のことを「不気味な似非男」など悪意ある形容で報じるようになり、ジョーはレースから撤退。スピードへの想いはやまず、友人の男性カーレーサーにパトロンとして資金提供したりもしますが、「男の表舞台を降り、裏で支える伝統的な女の立場に追いやられ」(p. 131)たことに代わりはありません。ジョーがホエール島を4万ドルで購入したのは1934年のことで、以後二度と英国には戻らなかったとのこと。

ジョーはその後、1975年にホエール島を売却するのですが、これもまた社会の変化と無縁ではありませんでした。植民地主義の衰退とともに住民へのジョーの威光も弱まって、以前のようには問題ごとを処理できなくなってくるんです。ホエール島を売ったのち、ジョーは米国に移り住み、1993年に93歳で亡くなっています。

自由だったのは誰なのか

最後までやりたいことをやり切ったジョーの生涯はパワフルではありますが、全体を通して見ると自由というよりアンビヴァレントな印象を受けます。規範に反抗する一方で、古典的な「男性」や「植民地領主」の役割をむしろ積極的に引き受けていたわけですからね。とは言え、彼女は男になりたがっていたわけではなく、ジョーの理想は生殖とは無縁な「少年」だったのだそうです。その意味では、ジョーの世界でもっとも自由な存在は、彼女がかわいがっていた人形の「トッド・ウォドリー卿」だったと言えます。トッドは親も持たず、大人にもならず、股間には何もない永遠の少年なわけですから。

ジョーの手による以下の詩が印象的でした。

スカートを/はきたい/男も/いれば/シャツを/着ている/女も/いる/飛びたい/魚さえも/いる――/どうして/なのだろう?

この「どうして/なのだろう?」というひっかかりを燃料とし、ありあまる資産と爆発的な行動力で20世紀を駆け抜けたのがジョー・カーステアズという人物なのだと思います。他の誰にも真似できない生き方であったことは間違いありません。

まとめ

単なる「レズビアンの」伝記というより、めったにいない豪の者の伝記としてすこぶる面白い本でした。20世紀における異性装やレズビアニズムの扱いの変遷という点でも、学ぶところが多かったです。日本語版はどうやら絶版らしいんだけど、中古で探して読む価値はじゅうぶんあると思うわ。

ネヴァーランドの女王 (新潮クレスト・ブックス)

ネヴァーランドの女王 (新潮クレスト・ブックス)