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石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャー。

米ニューヨーク州が「親」の定義を拡大 同性パートナーの養育権・面会交流権を認める

LGBTニュース 百合/レズビアン

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2016年8月30日、米国ニューヨーク州控訴裁判所が、「親」の定義を拡大する画期的な判決をくだしました。これにより、同性パートナーと別れた人が、血縁関係や養子縁組の関係にない子供に対する養育権や面会交流権を要求できるようになるとのこと。

詳細は以下。

In New York, a landmark ruling for estranged gay and lesbian parents.

この判決は、「ブルック・S・B対エリザベス・C・C」(Brooke S.B. v. Elizabeth C.C.)および「エステレイータ・A対ジェニファー・D」(Estrellita A. v. Jennifer D.)というふたつの訴訟について出されたもの。どちらもパートナー同士の合意のもとに子をもうけ、共同で養育していたにも関わらず、パートナー関係が破綻した後、出産していない方が子供と会う権利などを拒否されてしまったというケースでした。

これまで同州では、25年前の「アリソン・D対ヴァージニア・M」(Alison D. v. Virginia M)裁判でくだされた判断により、子供と生物学的つながりがある人か、子供と養子縁組している人でなければ、養育権や面会交流権を要求することができないとされていたのだそうです。8月30日の判決文で、それが以下のようにくつがえされました。

われわれは、25年前のアリソン・D裁判で本法廷が確立した「親」の定義は、より近年に叙述された法的原則に照らせば、ますます多様化している家族関係に当てはめるには実用的でないということに同意する。したがって本日、アリソン・D裁判での判決をくつがえし、子と血がつながらない、養子縁組関係にないパートナーは、子の受胎および共同養育に同意していたという明確かつ説得力ある証拠を提出することができれば、家族関係法第70節にもとづき、面会交流権および養育権を要求できるものとする。

We agree that, in light of more recently delineated legal principles, the definition of "parent" established by this Court 25 years ago in Alison D. has become unworkable when applied to increasingly varied familial relationships. Accordingly, today, we overrule Alison D. and hold that where a partner shows by clear and convincing evidence that the parties agreed to conceive a child and to raise the child together, the non-biological, non-adoptive partner has standing to seek visitation and custody under Domestic Relations Law § 70. I

ちなみに上に挙げたブルックさんは、パートナーであるエリザベスさんとの合意のもと一緒に子供を持とうと決め、妊娠したエリザベスさんのために医療ケアの予約をし、出産(2009年)に立ち会い、赤ちゃんのへその緒まで切り、出産後仕事に復帰したエリザベスさんに代わって1年間家で子育てをし、にもかかわらずエリザベスさんと破局(2010年)した後、赤ちゃんとの関係を家裁で否定されてしまっていたとのこと。エステレイータさんの方も似たようなもので、パートナーのジェニファーさんが人工授精で生んだ子を3年間一緒に育てていたのに、別れた(2012年)後ジェニファーさんから養育費だけ要求され、子供と会う権利は認められていなかったのだそうです。どっちもひどすぎ。

これらの例を見てもわかる通り、最高裁が同性婚を認めた(米国では2015年)からといって、同性同士で家族を持つ人の権利が全部自動的に保障されるわけでは全然ないんですよね。これからはむしろ、家族の保護を「結婚」という名のバリューパックに頼ってきた弊害が一層露わになってくるでしょうし、そもそもなぜそのバリューパックを使わなければならないのか、使えない/使わない人の権利を守るためにはどうするべきかという議論が盛んになってくるのでは。日本ではまだなかなかそこまで議論が進んでいないように思いますが、だからこそ他国での先行事例をよく見ておかねばと思います。