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石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャー。

『食べて、祈って、恋をして』の著者、同性との交際を公表

LGBTニュース

食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書 (RHブックス・プラス)

映画『食べて、祈って、恋をして』の同名の原作本の著者、エリザベス・ギルバート(Elizabeth Gilbert)が2016年9月7日、女性の親友Rayya Eliasさんと恋人同士であることを公表しました。

詳細は以下。

'Eat Pray Love' Author Elizabeth Gilbert Comes Out as 'In Love' with a Woman - Towleroad

本人のFacebookによれば、エリザベス・ギルバートがこの関係を公表すると決めたのは、Eliasさんが治療の手立てのないがんを患っていると診断されたからだそうです。以下、いくらか引用して和訳します。

Rayyaにくだされた診断を初めて知ったとき、心の底の落とし戸(それまでそんなものがそこにあると自分でも知らなかった落とし戸)が開いて、わたしの存在すべてがその穴からまっすぐ落っこちて行きました。その瞬間以来、わたしの世界の中心は彼女です。人生においてキャンセルできるものはすべてキャンセルし、まっすぐ彼女の横に向かいました。それからずっとそこにいます。

In the moment I first learned of Rayya's diagnosis, a trap door opened at the bottom of my heart (a trap door I didn't even know was there) and my entire existence fell straight through that door. From that moment forward, everything became about HER. I cancelled everything in my life that could be cancelled, and I went straight to her side, where I have been ever since.

でも、Rayyaが診断を受けてから何日か、そして何週間かすると、心の中である変化が起こりました。死には――または、死の見通しには――リアルでないものを一掃する性質があります。それによって生み出された飾り気なしの絶対的な現実の中で、わたしはある真実に直面しました。それはつまり、「自分は単にRayyaを愛しているだけではない」、「Rayyaとは恋人同士である」という真実です。この真実をこれ以上否認している時間は、わたしにはありません。

But something happened to my heart and mind in the days and weeks following Rayya's diagnosis. Death — or the prospect of death — has a way of clearing away everything that is not real, and in that space of stark and utter realness, I was faced with this truth: I do not merely love Rayya; I am in love with Rayya. And I have no more time for denying that truth.

なぜ今公表するのかって? それはわたしが、好むと好まざるとにかかわらず、世間の目にさらされる生活を送っている人間だからです。今年の夏はわたしたちにとって、沈黙と癒しと、じっと閉じこもって過ごすということのために、絶対不可欠な期間でした。わたしにはその時間が必要で、そのように過ごせたことに感謝の念を抱いています。でも、夏はもう終わってしまいました。わたしには、世界でしなければならない仕事があります。もうこれ以上伸ばせない仕事が。わたしはこれから何週間も、そして何か月も、とても人目につくかたちで出歩くことになります。世間の人が、またわたしを目にするようになります。そしてそのとき、人々は絶対にわたしがRayyaと一緒にいるところを目にします。というのは――神様を証人にして誓いますが―― Rayyaの健康状態がゆるす限り、彼女はわたしのそばにいるからです。

自分自身の誠実さと正気を保つため、わたしには世界中のどの部屋に入っていくときでもRayyaの腕にすがって、わたしたちの実際の関係について楽な気持で単純に開示していられるぐらいリラックスしている必要があるのです。もし本当の自分でいられない(自宅で私人として過ごすときであれ、外の世界で人前にいるときであれ)のだとしたら、わたしの人生はあっという間にめちゃめちゃで、不気味で、ばかばかしいものになってしまいます。もちろん、Rayyaが今もわたしの親友だというふりをすることはできるでしょう。でも、それは……ご存知の通り、偽りです。何かを偽ると、人は屈辱的な気持ちになり、弱くなり、混乱してしまいます。それに、偽りはまた、たいへんな労力を必要とします。わたしはもう、そんな労力は費やしません。

So why I am speaking publicly about this now? Because — for better or worse — I am someone who lives her life in the public eye. This summer has been an essential period of silence, healing, and incubation for us. I have needed that time, and I've been grateful to have it. But summer is over. I have work to do in the world — work that I can't put off anymore. I will be out and about in a very public way again over the next few weeks and months. People will be looking at me again. And when people look at me, they will inevitably see me with Rayya, because — as God is my witness — whenever Rayya is healthy enough to be by my side, she will be by my side. (Trust me: We will not be wasting a moment of our time together, for as much time as we are given.)

For reasons of my own integrity and sanity, I need to be able to walk into any room in the world with Rayya on my arm, feeling relaxed enough to stand comfortably in simple openness about who we actually are to each other. If I can't be my true self (whether at home in privacy, or out there in the world in public) then things will very quickly get messy and weird and stupid in my life. Sure, I could pretend that Rayya is still just my best friend, but that would be…you know... pretending. Pretending is demeaning, and it makes you weak and confused, and it's also a lot of work. I don't do that kind of work anymore.

『食べて、祈って、恋をして』って、リブート版『ゴーストバスターズ』の中で、女性にまつわるステレオタイプを皮肉る意味のギャグ台詞で登場した映画ですよね。その原作本を書いた人が、実はそうもステレオタイプではない恋をしていたということにちょっと驚かされました。同時に、パートナーが異性ならばあれこれ「公表」せずともあたりまえにできることが、同性同士だといちいち説明が要るということに、悲しみとフラストレーションも感じました。どうかこのおふたりに幸多からんことを。