石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。

思い切った脚本に拍手 でも日本版ローカライズには不満点も~ミュージカル『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』感想

Fun Home (A New Broadway Musical)

日本でこれが見られて幸せ

レズビアンの米漫画家アリソン・ベクダルの自伝コミックを原作とするミュージカル。脚本は力強く、役者陣の演技もよく、歌も特にブルース・ベクダル役の吉原光夫がすばらしかったです。日本でこれが見られて幸せ。でも、日本版ローカライズに関しては、残念な点もいくつか。

「こう来たか!」と唸らされる脚本

『ファン・ホーム』は、ひとことで言うと父との娘の物語です。偏執的に美にこだわり、家族にとっては暴君で、40代でトラックの前に飛び出して亡くなった父ブルースと、小さな頃からうっすらとレズビアンの自覚があった娘アリソンの物語。ブルースは未成年の少年に何度も手を出していた隠れゲイ(おそらく)で、彼の死はアリソンからカミングアウトされてからわずか4か月後のことでした。長じて漫画家になったアリソンが、父と父がいたころの家族の思い出を振り返り、精緻に綴ったノンフィクション漫画、それが原作版『ファン・ホーム』です。

このコミックがブロードウェイでミュージカルされると聞いた時には、「あの陰鬱で重厚なお話を、いったいどうやって?」と驚いたものです。それがトニー賞を5部門総なめにしたことでさらに驚き、日本でも上演されると聞いて「これは絶対見なければ」と飛んで行ったのですが――

いやあもう、「なるほど、こう来たか!」と最初から最後まで納得しまくりでした。ミュージカル版は父の死因をはっきり自死と位置づけ、アリソンの悔恨と父への哀惜の念にフォーカスした構成になってるんですが、それでいて少しもメロドラマっぽくなっていないんです。話の細部を大胆に刈り込み、笑える部分と悲痛な部分のメリハリをつけて、物語全体の輪郭をくっきりさせたのがよかったんじゃないかと思います。オデュッセイアやユリシーズへの言及がばっさりカットされているところにはびっくりしましたが、その欠落を「電話線」("Telephone Wire")や「フィナーレ」("Flying Away(Finale)")などの曲でアリソンの気持ちを強く押し出したり、その間に父ブルースの独白の歌をはさんだりすることで補うという工夫がかえって面白かったです。

その他よかったところ

ブルース役の吉原光夫は歌も演技も圧倒的でした。気難しいお父さんの、怖さや色気やフラジャイルなところがないまぜになった魅力が遺憾なく発揮されていたと思います。大学生アリソン役の大原櫻子のリアル感もよかった。たたずまいやキュートなドタバタっぷりがちょっと『The Big Gay Sketch Show』に出てたころのケイト・マッキノン(Kate McKinnon)っぽくて、「あんな感じのレズビアン、いるいる!」と思いながら見てました。そうそう、このミュージカルではアリソンの年齢によって子供時代・大学生時代・大人時代を3人の女優が演じ分けるのですが、どの演技・演出にも「レズビアンの」芝居だからと言って変に構えたところはなく、そこも好印象でした。

訳詞も(後述する1点が気になったことをのぞいては)大変すばらしかったです。あのコミカルな"Changing My Major to Joan"とか、音節数の制限もあるのにいったいどうやって日本語にするんだろうと思っていたのですが、本当に無理なく、しかもしっかり笑える詞にされていたと思います。圧巻だったのは"Telephone Wire"で、リフレインのところの切迫感や痛ましさなんて、もう英詞に勝ってさえいるんじゃないかと思いました。

ローカライズの残念ポイント

残念だった点がみっつあります。まず大人アリソン(瀬奈じゅん)のヘアスタイル、ありゃ何だ。何だあのヘテロ臭い中途半端な七三分けのボブは。アリソン・べクダル本人の実際のヘアスタイルはこんなだし、

原作コミックでも大人の(現在の)アリソンはこの髪型で描かれています。そしてブロードウェイ版でも、そこは忠実に再現されていたはず。なのになぜ日本版の大人アリソンだけ、あんな妙にフェミニンなヘアスタイルにされてしまったんでしょうか。意図がまったくわからなかったし、キャラ解釈がおかしいと思います。あれじゃ、あのトニー賞授賞式でも歌われた「鍵の束」(Ring of Keys)の場面の意味がなくなってしまうのでは。あそこでブッチ("butch"、男性的とされる服装や髪型を好むレズビアンのこと)としての自己認識と自己受容の喜びを高らかに歌ったはずのキャラが、大人になって全然ブッチじゃないスタイルを選んでいるというのは筋が通りません。

大学生時代のアリソンがまだそこまで髪を短くしていないというのは別にいいんですよ。その時点ではいまだブルースの庇護下にあり、さらに、ゲイ・ユニオンに足を踏み入れることさえおっかなびっくりの駆け出しレズビアンだったわけですから。でも、当時でさえ服装をソフトブッチ("soft butch"、ヘテロ好みの『ボーイッシュ』とはまた違う、男ウケを狙わないこういう感じのスタイル)なものにし、昔父から強制されていた髪留めもつけずにいるという形の成長はあったのよ。そして、そこは漫画でもブロードウェイ版でも日本版でもちゃんと描かれてるんですよ。なのにその先、より自由な大人になって、しかもオープンリー・レズビアンのアーティストとして成功しているはずの現在のアリソンがあんなガーリーな自己表現に帰着しているなんてありえない。そんなの飛ばないエルファバだよ。歌わないトレイシー・ターンブラッドだよ。ダンサーにならないビリー・エリオットだよ。やはり、なんとしてでも、ヅラをかぶってでもベリショーにすべきだったと思います。

ふたつめに残念に思ったのは、前述の「鍵の束」("Ring of Keys")に出てくる"old-school butch"(『昔流のブッチ』、ブッチの中でも男物のスーツやフランネルシャツなど、より古典的なファッションを好むレズビアンのこと)という言い回しが日本語には置き換えきれず、「レズビアン」とだけ訳されていたこと。ただこの背後には日米のレズビアン文化の違いもある(そもそも『ブッチ』に相当する日本語がない)ので、仕方がないとも思います。「ブッチ」とそのままカタカナにしようと、「男っぽいレズビアン」と説明的に訳そうと、ピンとこない人の方が多いでしょうしね。とりあえず、予備知識ゼロであの場面を見た日本の平均的な異性愛者の方々に、あの訳と演出でアリソンの驚きと歓喜がどこまで伝わったのかを聞いてみたいところです。「ひょっとしてこの場面のインパクトが製作陣にすら伝わっていなかったからこそ、大人アリソンの髪型があんなことになってしまったんじゃないか」という疑惑もぬぐえませんし。

最後に、ヘレン・ベクダル(アリソンの母)役の紺野まひるは、ヘレンの歌にあまり音域が合っていないように思いました。特に終盤の「日々の中で」("Days and Days")あたり。演技はよかったと思います。

まとめ

大人アリソンの髪型が全然ブッチではなく、訳語でもブッチの概念がぼやけてしまっているところは残念でしたが、そのあたりは現時点での日本における米国のレズビアン・カルチャーの理解度の限界かなとも思います。全体としてはテーマも明確だし、歌も演技もとてもよくて、見る価値は十二分にありました。定期的に再演してほしいわ、これ。

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