石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。

ラスボスはセクシズムとホモフォビア~映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』感想

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戦いもよし、ロマンスもよし

米女子テニス選手ビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)が男子選手ボビー・リッグズ(スティーブ・カレル)を破った、有名な男女対抗試合を描く映画。ボビーを悪役にして終わりではなく、ビリーの本当の敵とそれを象徴する人物がきちんと配されているところがいいです。ロマンスの部分もまあまあ。

ボビーは実は敵じゃない

この試合、「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」が実行されたのは、米国でウーマンリブの機運が高まりつつあった1973年のこと。当時のテニス界は、チケットの売り上げでは女子の試合と男子の試合で差がなかったにもかかわらず、男女で変わらないにもかかわらず、「女子選手の優勝賞金は男子選手のそれの8分の1」という差別的な方針をとっていました。補足すると、女子選手は準々決勝まで進まなければ賃金どころか経費さえ支払われる保証がなかった*1んです。これに抗議し、平等を求めて女子だけのツアーを始めたビリー・ジーン・キングは、フェミズムの旗手として注目を浴びていました。そのビリーと対戦したがったのが、55歳の元ウィンブルドン3冠選手のボビー・リッグス。「男性優越主義者の豚」を自称し、女性蔑視的な言動を繰り返す彼を相手に、ビリーは9月20日、ついにヒューストンのアストロドームでこの伝説的な一戦を繰り広げることになります。

……という筋立て(これは史実の通りです)と前評判からてっきり、この映画は「ビリー・ジーン・キングが、『最低のセクシストの』ボビー・リッグスを打ち破る痛快作品」として作られているのだと思っていたのですが、そして「それだと『ボビーを尊敬している』というビリー本人の談話とずれてしまうのではないか」と危惧していたのですが、その心配は無用でした。さすがにそこまで単純な話にはされていなくて、ほっとしました。

スティーブ・カレルの力強い演技もあって、ボビーは自分で言うほどシンプルな男性優越主義者というわけではなく、(1)アドレナリンジャンキーのハチャメチャなギャンブラー、(2)妻子を愛するひとりの中年男、(3)往年の名テニスプレイヤーの3つの顔を持つ複雑な男だったということがわかるようになっています。ビリーの台詞でも説明されていましたが、ボビーの悪趣味な女性蔑視発言のほとんどは、試合に注目を集めておカネをたくさん動かすための演出。つまり(1)のギャンブラー/ショーマンとしての狙いからきたものであり、これは実際のボビー像とも合致する*2なあと思いました。そんなボビーがバトル・オブ・ザ・セクシーズで思わぬ苦戦を強いられ、試合中にはからずも(3)の顔に戻っていくというところが、この映画の醍醐味のひとつだと思います。(2)もよかったんですけどね、ボビーのコミカルな面と、ぞっとするような孤独とがないまぜになっていて。このへんはほんと、スティーブ・カレルに拍手。

結局のところビリーとボビーは敵対関係というより一種の共犯関係にあったのだと自分は思います。ボビーがギャンブルのためにビリーを利用したのと同様、ビリーもまた女子テニスの名誉を高めるためにボビーを利用していたのであって、その意味でふたりは同等だったんじゃないかと。ゲーム終了後、ボビーがネットを飛び越えて(ビリーのスタミナを奪う戦略で、あんなに走り回らされた後にですよ!)ビリーを称えに来る場面なども、ふたりが単純に「どちらが上か」を争う関係ではなかったことを象徴していると思いました。

それでは敵は誰なのか

バトル・オブ・ザ・セクシーズの試合前、ビリーに向かって「男の方が女より優れている」という中年男に、ビリーが「わたしは女の方が優れてるなんて言っていない、そんなこと一度も言ったことがない。わたしたちはリスペクトを受けるに値すると言ってるんだ」と言い返す場面がありました。これは映画全体に通底する、ビリー・ジーン・キングの主張だと思います。彼女が求めていたのは同じ人間として等しく尊重されることであって、誰かの上に立つことじゃない。

では、その等しい扱いをはばんでいたのは、つまりビリーが戦わねばならなかった敵は何なのか。答えは簡単で、ジャック・クレイマー(が象徴しているところの、社会に組み込まれているセクシズム)と、マーガレット・コート(が象徴しているところの、社会に組み込まれているホモフォビア)です。

クレイマー(ビル・プルマン)はテニスのプロツアーのプロモーターで、女子テニス選手の賞金を上げることに真正面から反対していた人。彼やその周囲の男性たちが女子選手の賃金の低さを正当化するために持ち出す屁理屈は、現代社会でも(もちろん日本でも)死ぬほど目にするものばかりです。業績が同じなのに体力だの筋力だのを理由に女の賃金を低くするのなら、男の給料も社内デッドリフト大会やトライアスロン大会の成績で序列を決めればいいのに、絶対にそういうことはしないんですよね男社会は。それだとよぼよぼのじいさん社長やメタボ中年男性社員より、体育会系男子高校生アルバイターの方がたくさんお金をもらえるってことになっちゃうから、困るんですよね。このほか、マスコミの女子テニス選手に対する言及がやたらと容姿や夫に関するものだったり、男性の実況アナウンサーが、嫌がられているにもかかわらず解説の女子選手の肩にねっちりと手を回しているところなども、今なお消えていない「社会にインストールされたセクシズム」そのものだったと思います。この映画におけるジャック・クレイマーは、いわばそのセクシズムに与えられた顔なのだと思いました。

一方マーガレット・コート(ジェシカ・マクナミー)は、アンチLGBTなことで有名なオーストラリアのテニス選手(現在はペンテコステ派の牧師)。つい昨年、つまり2017年にもLGBTの人々をヒトラーや共産主義者になぞらえて攻撃する発言をして物議をかもしたばかりで、うちのブログでも以下のようなニュースを紹介しています。

このマーガレットが、ビリー・ジーン・キングの同性愛に敵意を燃やす役として出てくるんです。その描き方が面白くて、まず、ビリーとマリリン・バーネット(アンドレア・ライズボロー)の恋愛関係にいちはやく気づくのがゲイのデザイナー(アラン・カミング)とマーガレットだけというところに笑いました。これって、ホモフォーブは同性愛傾向を抑圧していることが多い」説を背景とした一種のからかいですよね。異性愛者にはゲイダーがない(少なくとも能力が低い)はずなのに、なんでアンタ気づくのというわけ。それから、彼女が常に「夫と妻」または「夫と妻と子供」というセットで画面に登場するあたりは、明らかにアンチ同性婚デモのプラカードを意識したものだと思います。そんなこんなで、マーガレットがベッドの上で律儀に夫と並んでバトル・オブ・ザ・セクシーズをTV観戦し、自分が勝てなかったボビーをビリーが打ち負かすところを目にするところなど、実に痛快でした。

一応つけくわえておくと、70年代にホモフォビックだったのは彼女だけではなく、社会全体がそうだったので、一概にマーガレットだけを責められるものでもないと思います。アメリカ精神医学会がDSMから同性愛を外したのは1987年のことで、つまりそれまでは同性愛は病気とみなされていました。ソドミー法は違憲と連邦最高裁が判断したのは2003年のことで、それまでは州によっては同性愛は犯罪行為でした。ビリー・ジーン・キング本人だってホモフォビックでした。ビリーが育ったのは原理主義者とペンテコステ派の教会が勢力を持つ保守的な地域で、子供のころから「レズビアン」や「バイセクシュアル」という単語さえ聞いたことがなく、1973年当時は自分はレズビアンだということすら認めてなかったんですよ彼女は*3。つまりビリーの前に立ちはだかっていたのはマーガレット・コートというひとりのアンチゲイな女性ではなく、社会全体に当たり前のようにしみとおっているホモフォビアだったんです。

女性同士のロマンスについて

最後に、この映画に出てくるレズビアニズムの描写について。ビリーとマリリンの恋愛の部分に思ったより尺が割かれてあること、恋に落ちる瞬間の熱情や恋愛初期の高揚感がはっきりくっきり描かれていることなどは、とてもいいと思いました。反面、わかりやすさを狙いすぎて描写がややくどくなりがちなところがあって、そこがちょっと残念な気もしました。

あれだけ目と目で会話しているのに、「ラベンダーオイル」で念押しまでしなくてもいいんじゃないかと思うし、口紅の場面もあそこまで麗々しく"Ladies"のネオンサインを大写しにする必要はなかったんじゃないかと思うんですよ。ベッドシーンも、行動としてはたいしたことをしてないわりに(しろという意味じゃないですよ)妙に時間が長く、喘ぎ声と衣擦れの音が延々と強調されまくるところがしつこい気がしました。エマ・ストーンの演技は繊細でよかったし、もっと抑制した描き方でも、観客はちゃんとついてきたんじゃないかと思います。

まとめ

話の筋を「女vs男」にも「ビリーvsボビー」にもせず、もっと大きくて現代に直結する物語に仕上げてあるところがよかったです。女性同士の恋愛の部分も、描写がちょっとくどくはあるけれど、エマ・ストーンの演技そのものは大変よかった。スティーブ・カレルによるコンパルシブなギャンブラーとしてのボビー像も魅力的だったし、マーガレット・コートのおちょくり方にも笑ったし、全体としてとても好きな映画です。おすすめ。

*1:Ware, S. (2015). Game, Set, Match: Billie Jean King and the Revolution in Women’s Sports[Kindle virsion]. Retrieved from Amazon. co.jp. p. 31.

*2:実際のところ、ボビー・リッグスは『ウーマンリブを20年後退させてやる』などと発言していた一方で、ノーラ・エフロンによるインタビューで、実はウーマンリブについては『何も』知らないと答えていたそうです。すべてはショーだったんです。vid. Ware, S. (2015). Game, Set, Match: Billie Jean King and the Revolution in Women’s Sports[Kindle virsion]. Retrieved from Amazon. co.jp. p. 4.

*3:それどころかビリー・ジーンは1981年にマリリンからアウティングされてさえなお、「自分がレズビアンであるはずはない」、「男嫌いの女など大嫌いだ」と主張し、レズビアンのライフスタイルは「孤立した、隔離された生き方」だから「ぞっとする」と言っていたのだそうです(vid. Ware, S. (2015). Game, Set, Match: Billie Jean King and the Revolution in Women’s Sports[Kindle virsion]. Retrieved from Amazon. co.jp. pp. 185-186.)。こういうところから見ても、バトル・オブ・ザ・セクシーズが単純な「正義の味方のビリー・ジーン・キングvs悪の権化ボビー・リッグス」でありえたはずはないと思います。「時代なりにホモフォビックでいろいろ問題もあったビリー・ジーン・キングvs時代なりにミソジニスティックでいろいろ問題もあったボビー・リッグス」でしょう、正確には。