石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『ヴァイゼフラウ(全2巻)』(鳥居チカ[画]/爲我井徹[原作]、双葉社)感想

ヴァイゼフラウ 1 (アクションコミックス COMIC SEED!シリーズ)

ヴァイゼフラウ 1 (アクションコミックス COMIC SEED!シリーズ)

ヴァイゼフラウ 2 (アクションコミックス COMIC SEED!シリーズ)

ヴァイゼフラウ 2 (アクションコミックス COMIC SEED!シリーズ)

百合というよりシスターフッドもの?

「ヴァイゼフラウ」と呼ばれる魔女たちと、その敵である聖堂騎士たちの戦いを通じて、主人公「未夜」の成長を描く物語。前半には百合っぽい場面が多く見受けられるものの、全体としては百合というよりシスターフッドものととらえた方が正確かも。戦いの緊迫感や美しくミステリアスな雰囲気はよかったのですが、「男と女」という対立構造が単純すぎる点と、後半で巻きが入って舌足らずなまま終わってしまう点は残念でした。

百合っぽさ、あるいはシスターフッドについて

ヴァイゼフラウたちは「女の家」と呼ばれる場所で、家長「倫子」のもとで共同生活をしています。1巻ではのっけから倫子が未夜の唇を舐めて(絵的にはほとんどキスシーン)

私の大事な未夜……

と呟きながら抱き締めていたり(p. 10)するほか、アンネマリーと小夜、晶子と梓などのカップリングもそれとなく暗示されます。お姫様抱っこや、お風呂で傷の手当てなどのサービスショットもあり。

しかしながら、結局これらの百合っぽさはお話の背骨ではなくアクセサリーにすぎません。物語の力点はカップルとしての好き感情ではなくあくまで「女同士の連帯感」に置かれており、事実、こうした百合テイストの場面は2巻ではほとんど出て来なくなっています。最終的にはヴァイゼフラウたちの「仲間(あるいは家族)としての絆」が強調される形で物語が収束していくため、百合漫画として読むにはちょっと食い足りない感じ。いや、別に百合を謳った作品ではないので、それはそれでいいんですけど。

男と女の対立構造について

ヴァイゼフラウは「女」の、聖堂騎士は「男」のメタファーだと思います。聖堂騎士がヴァイゼフラウたちを「魔女」と呼んで恐れ迫害し、ヴァイゼフラウたちが不思議な力と女同士の結束でそれに立ち向かうのは、単純に現実世界のヘテロ男性とヘテロ女性間にある(とされている)対立構造を模したものですよね。

でもなあ。異性にぜんぜん憧れも幻想も持たない身からすると、この「男」と「女」の対立構造はあまりに典型的な性別二元論&異性愛主義の発露に見えてしまい、ありていに言って退屈でした。人間ってそこまで「性別」だけで切り分けられるもんじゃないと思うんだわ。

後半の舌足らずさについて

結局ヴァイゼフラウと聖堂騎士の正体が何であるのか明かされないまま物語は終わります。どちらも「死ぬはずの子供をムリヤリ生きながらえさせ」(2巻p. 138)た存在だということはわかるんですが、それだけ。なんだかとても消化不良な感じ。そう言えば1巻でさりげなく示唆されていたアンネマリーと倫子の対立(?)もついに描かれずじまいだし、小夜もあまり活躍してませんよね。そのあたりがちょっと物足りなかったです。

まとめ

美しさやミステリアスさ、戦いのサスペンスなんかはよかったのですが、百合漫画として読むにはいささか物足りなかったです。「男」と「女」の二項対立も、ジェンダー規範が大好きな人じゃないとノリにくい感じ。ラストの消化不良感も残念でした。