石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

米国市民、「団結」テーマの彫刻をゲイの乱交像とみなし撤去させる

f:id:miyakichi:20180906112959j:plain

米国ミシガン州の町で、人と人との団結をテーマとした彫刻が、「ゲイの乱交像である」として、設置1週間後に撤去されてしまいました。これは彫刻家マーク・チャタレイ(Mark Chatterley)氏の作品で、市役所の近くに立てられていたとのこと。

Small Town Mistakes Unity Sculpture For Giant Blue Orgy

彫刻の写真は以下をどうぞ。

この彫刻は同州エイドリアン市(Adrian City)のパブリック・アート・プログラムの一環として制作されたもの。制作したチャタレイ氏は、これは現代の人間はひとりでは生きられないということをテーマとした作品であり、性的な意図はないと説明しています。

しかしながら、地元の牧師であるリック・ストローカッター(Rick Strawcutter)氏の意見は違うようです。

わたしの知人で(この像を)見た人全員が、これは本質的に恥ずべきものであると感じています。

“Everybody I know who sees [the sculpture] just feels like it is in itself an abomination.”

牧師さんの言う「恥ずべきもの」は原語では"abomination"。宗教的な文脈で同性愛を嫌悪・糾弾するときに好んで使われる単語です。

市のWebサイトには、このようなコメントも寄せられています。

エイドリアン市はわたしたちがこの市のイメージとして表現しようとしているもの(健康で楽しいコミュニティで、子育てするのにすばらしいところ)とは違うものを展示したのです。非常に不快ですし、率直に言って、そもそもこれを公共の場に設置されることが許可されたことに嫌悪感を持っています。ただちに撤去してほしいです。

we have displayed something that is not what we are trying to portray Adrian as (a wholesome, enjoyable community that is a great place to raise your family). I am greatly displeased and, frankly, disgusted that this was allowed to be put up in public in the first place; but I am hoping to see it removed immediately.

「子供」を持ち出して同性愛(だと自分が解釈したもの)を見せるなと主張するのは、これも典型的なホモフォーブの論法ですねえ。その子供の中にも同性愛者はいるし、そもそも世の中には子育て真っ最中の同性カップルだっているのだという発想がないんですね。あと公共の場に同性愛(だと自分が解釈したもの)が存在すると「健康で楽しいコミュニティ」の邪魔になるというのもずいぶんな発想で、「ゴール裏は聖地、自分たちでやっていきたい。他の人達は入ってきてほしくない」としてサッカースタジアムに「Japanese Only」の横断幕を出しちゃう人たちと大差ないと思います。

この彫刻撤去事件に際し、PinkNewsのコメント欄が相変わらずすばらしいツッコミを見せています。

このいかれた連中はゲイより頻繁にゲイセックスのことを考えてるんだな。:/

These nutcases think of gay sex more often than gay people :/

同性愛嫌悪の人には、見るものは何でもゲイセックスに見えるんだ。

Homophobes see gay sex wherever they look.

そうそう。同性愛者はそこまでヘテロセックスのことばかり考えたりしないのに、どうして異性愛者(の一部)はこんなにもゲイセックスにご執心なんでしょうかね。

もっとも鋭いと思ったのは、こちら。

もしあの彫刻に胸があれば、同じ人たちによって芸術とみなされるだろうね。

if it they had breasts it would be considered art by the same people

確かに、複数の裸婦像がもたれかかり合って「団結」を表しているのであれば、ここまでの騒ぎにはならなかったんじゃないかという気がしますね。「胸がない→男だ→男が複数でくっついている→ゲイセックスだ! 乱交だ! 排除せねば!」という呆れるほど短絡的な思考回路の背後には、いったい何があるんでしょう?