石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

オリヴィアとヴァイオラの百合エンド十二夜みたいな話―映画『ホタルの影と光』感想

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幻想的で面白い、女同士のラブロマンス

疎遠だった弟に急逝された女性ルシア(カロリーナ・ゲラ)と、弟の婚約者だったマリアナ(オルガ・セグラ)。悲しみと喪失感を分かち合ううち、ふたりは恋に落ち、そのうち予想外のことがわかって……という物語。家族の再生物語でもある、幻想的で面白いラブロマンスでした。コロンビア映画で、Netflixで見られます。

似てりゃなんでもいいのか問題

この映画の序盤を見ていてまず思ったのは「なんか『十二夜』っぽい」ということ。だって、愛する人を突然なくしたマリアナの恋愛感情が、相手と似ている身内(しかも性別が逆)へとそっくりスライドするんだとしたら、まるでシェイクスピアの『十二夜』の伯爵令嬢オリヴィアみたいじゃないですか。一応説明しておくと、オリヴィアというのは『十二夜』の主人公ヴァイオラが男装してなりすました小姓「シザーリオ」に恋をし、彼と取り違えてヴァイオラとそっくりな兄セバスチャン(オリヴィアとは初対面)と結婚し、その後すべての事実がわかっても「なんて不思議な!」というだけでそのままセバスチャンの妻でい続けるという奇特な人。「似てりゃなんでもいいのか」と全方位から突っ込まれそうなキャラです。

『ホタルの影と光』の序盤で婚約者アンドレス(マヌエル・ホセ・チャベス)を亡くしたマリアナの境遇は父と兄を失って喪に服しているオリヴィアに重ねることが可能ですし、ルシアがしばしアンドレスの遺品の革ジャンと手袋を身に着けて行動するあたりも、あたかも兄セバスチャンを失った(と思った)あとに男装を始めたヴァイオラのよう。マリアナが革ジャン姿のルシアをアンドレスと取り違え、抱き着いて「来てくれると思ってた」と泣くところは、シザーリオ(正体はヴァイオラ)とセバスチャンの区別がつかないオリヴィアみたいです。ところどころに鏡やガラスが出てきて、ルシアの顔とその鏡像が並べて映し出されるのも、マリアナとルシアがふたりともルシアの中にアンドレスを見出だしているということの象徴でしょう。

しかしながらこの映画は、『十二夜』における「似てりゃなんでもいいのか問題」(と命名)はうまいことクリアしているようにあたしの目には見えました。まずルシアが弟の服を着て行動する期間はかなり短く、ヴァイオラのように結末まで男装しっぱなしではありません。そして、マリアナとの間の距離が縮まるのは、むしろ彼女が普段の服装に戻ってからのこと。つまり彼女はいなくなった弟の代替物として愛し愛されるのではなく、素の本人としてマリアナと恋に落ちるんです。愛する弟/婚約者の死という悲劇の共有がふたりのつながりを強めていくさまも段階を追ってていねいに書かれていましたし、アンドレスの墓に対するマリアナの態度変容は、彼女がアンドレスへの愛を大切に胸に抱いたまま、新たにルシアをも愛するようになったのだということを表現していると思います。つまり彼女の愛はスライドしてるんじゃなくて、増えているわけ。

ルシアとマリアナが無意識のうちにどんどん惹かれあっていくあたりのストーリーラインも、意外と手堅く作りこんであると思いました。鏡が映し出すものの変化や、スーパーマーケットの店員の表情、雨や水によるセクシュアルな暗示などを用い、キスもしてないうちから既にやったも同然な親密さを醸し出していくという手法が、なんだか『キャロル』みたいです。実際の話、女性同士のラブストーリーとしてこの映画を形容するなら「旅に出るのがちょっと遅めの『キャロル』」だと思います。

ファンタジックな癒しと再生

まるでおとぎ話のような、そしてちょっと謎めいたイメージシーンの数々が効果的な作品でした。代表的なのは事故死した弟が着地し、ルシアが夢の中で何度も訪れる森の場面。あれはこの世とあの世の境(limbo)であり、同時に理性の届かない無意識の世界をも表しているのだと思います。ルシアの自責の念を三白眼の怪物めいた姿で現すという大胆なアイディアも面白かったし、マリアナの提案でルシアが書いた手紙が森の中の弟との和解のきっかけになるという展開にも説得力がありました。現実世界でふたりはたくさんのろうそくをともし、この手紙を燃やしてアンドレスへと「届け」、ワインを飲みながらダンスをするのですが、これは実質的なアンドレスのお葬式であり、どん底にいたふたりの癒しと連帯の始まりなのだと思います。手紙を受け取った後、森の中のアンドレスが光を浴びて微笑みながら読んでいるノートのようなものの表紙に"La luciérnaga"(日本語にすると『蛍』。この映画の原題)と書かれているところも興味深かったです。あれは闇の中で蛍のようなほのかな光が、つまり愛がルシアの無意識を照らし始めたことを示しているんじゃないかと思います。「死んだ男の姉と婚約者が女同士で恋に落ちる」という一見突飛なストーリーがそうも突飛に見えないのは、こういう象徴的なシーンの積み重ねが効いているからなのでは。

そうそう、ファンタジックといえば、家族の再生(または、やり直し)というテーマを描くために逆回転というベタな手法が使われているところにはちょっと驚かされました。ここまであっけらかんと直球でやるのか、と思ってしまって。ただその直球具合がかえって爽やかでもありますし、ふたりのメインキャラを特にレズビアンだという設定にすらしなかったのはこのためだったのかと納得もしました。これは家族を失ったふたりの女性がもう一度家族を得る話であって、特に「レズビアンの」話だと念押しする必要はないんですよね。そんなところもまた面白かった。

セックスシーンについて

みんな大好きセックスシーン(実際『キャロル』の感想でも、ベッドシーンについて書いたやつのアクセスが異様に多いもんな……)についてちょっと書いておくと、この映画のそれに対する個人的評価は「100点満点で前半120点、後半30点」です。というのは、キスから愛撫の始めあたりまではかわいくてエロティックでかつ大変リアルなのに、クライマックス近辺のカメラワークがなんだかヘテロ目線だから。身もふたもない話をすると、あれは股間になんか生えている人の目線であって、女性同士のセックスではあんまり見ることのない(絶対にないとまでは言わんが)アングルだと思います。百歩譲って神の視点を意図したのかもしれないけど、あまり効果的ではないように思いました。でも均せば75点だし、あのすばらしい前半があればもうそれでいいや。

まとめ

ファンタジックなイメージシーンをうまく使い、「オリヴィアとヴァイオラのハッピー百合エンド版『十二夜』」または「旅に出るのがちょっと遅めの『キャロル』」とでも言うべき独自路線をひた走るユニークなラブロマンスでした。設定だけ見るとありそうもない話にも思えるのに、いざ見てしまうと不思議に説得力があって楽しめます。ラブシーンも特に前半がいい感じです。おすすめ。