石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『本泥棒』・ミーツ・『サイテー! ハイスクール』~小説『The Miseducation of Cameron Post』(Emily M. Danforth , Balzer + Bray)感想

The Miseducation of Cameron Post

タフで詩的なYA小説

モンタナのレズビアン少女キャメロンの成長を描くYA小説。ズーサックの『本泥棒』とドラマ『サイテー! ハイスクール』を足しっぱなしにして、さらに素敵なあれこれを盛り込んだようなみずみずしい作品でした。ただ、かなり長大な小説なので、読むのは大変。

詩的なサヴァイヴァルと90年代のリアル

このお話の舞台は1989年から92年の米国モンタナ州。主人公キャメロンは12歳で初恋の少女アイリーンとキスした翌日、事故で両親を失います。心の中でそのふたつを結びつけてしまった彼女を支えてくれたのは、レンタルビデオや悪友や、水泳の練習を通じて出会ったレズビアンのメンター(と言ってもかわいいものだけれど)、そして父親がかつて作ってくれたドールハウスをささやかな盗みの戦利品で飾り付けることでした。その後新たな恋も経験したキャメロンでしたが、あるきっかけで同性愛を「治療」する教育施設に放り込まれてしまい、そこで大きな事件が起こって……

読んでいる間じゅう、頭の中でこんなマザーグースの替え歌がぐるぐる回り出して止まりませんでした。

The Miseducation of Cameron Postって なんでできてる?

The Miseducation of Cameron Postって なんでできてる?

『本泥棒』と 『サイテー! ハイスクール』

すてきななにもかも

そんなもんで できてるよ

もう! ほんとに! そういう小説なんですよ、これ! 「逆境に置かれた孤児の、ある種の秘密と反逆(盗癖含む)をよりどころにしたサヴァイヴァルを詩的に描く物語」という点では多分に『本泥棒』的だし、「90年代の風物を背景に、ものすごくリアルなティーン・レズビアンのレプリゼンテーションをやってのけた作品」という意味では、確実に『サイテー! ハイスクール』と同じ系譜にあると思います。両者のファンの方々に、全力でおすすめしたいです。

独自の魅力あれこれ

本作品独自の素敵ポイントは、まずセクマイキャラの絶対数が多く、かつ描写の引き出しも豊富なところ。女性が好きな女性キャラひとつとっても、ガチガチのキリスト教原理主義のバイセクシュアル(?)少女から大麻栽培にいそしむコミューン育ちの10代レズビアンまで多種多様で、それぞれユニークな魅力をたたえています。ラコタ族の、ウィンクティ(Winkte / Winyanktehca)と呼ばれるサード・ジェンダー(またはプレジェンダー)の自認を持つキャラが出てくるところもよかった。このキャラと、同性愛矯正施設で起こるある事件のおかげで、物語全体の幅が一段と広いものになっていると思います。

それから、登場人物の心情を、事物を通して象徴的に描いていくテクニックもよかった。キャメロンは両親をなくして以降、レンタルビデオと映画に耽溺するのですが、彼女が自分の性的指向と聖書との折り合いについて考えている場面の背景ではテレビ画面が『危険な情事』でグレン・クローズがあるものを煮ている場面を映し出していたりします。つまり、この映画でのマイケル・ダグラスの恐怖と罪悪感や、殺しても殺しきれないグレン・クローズの恐ろしさが、ここでのキャメロンの心境を表しているというわけ。キャメロンの保護者となったキリスト教原理主義のおばがR指定だからという理由でキャメロンに見せたがらなかった映画が『テルマ&ルイーズ』で、その後キャメロンはこの作品をレンタルビデオで何度も何度も何度も借りて見た、なんてところも面白いと思いました。キャメロンがこの作品に惹かれたのは、どう考えても「R指定だから」ではないはず。女同士の連帯が、行き場のない絶望的な逃避行を繰り広げる物語だからです。

行き場のなさに関してもうひとつ付け加えると、ハイスクール時代のキャメロンが性関係を持った女の子、コーリーと通い詰める映画館でかかっているのが『プリティ・リーグ』(やはり女性同士の連帯を描く映画だし、レズビアンのロージー・オドネルが出てる)、『バッフィー/ザ・バンパイア・キラー』(レズビアン・テーマのあるドラマ『バフィー 〜恋する十字架〜』の元になる映画)、『バットマン・リターンズ』(バットマンシリーズはホモエロティシズムで有名だし、ミシェル・ファイファーはレズビアンにモテるタイプの女優です)ときて、最後に『永遠に美しく…』とあるところも興味深いと感じました。『永遠に美しく…』って、理想の状態を手に入れたと思ったのに全然理想じゃなかったという話ですよね。これはそのまま、キャメロンとコーリーの恋の行方を暗示しているのだと思います。

映画以外でも、キャメロンがいつもくすねたものを挟んで隠すウエストバンド(下半身は性と秘密と反逆の場所だってこと)や、アイリーンと乗る観覧車(高揚と恐怖感が同時にあり、結局元の場所に戻っていくしかない乗り物)、廃病院で見つけた鍵(扉を開けるもの。すなわち、主人公のセクシュアリティ探求がここから新たな局面に入ることを示すもの)、そしてモンタナ東部の気候や植物全般に至るまで、あらゆる事物が熟慮のもとに入念に配置されていると感じました。ひらたく言うと、深読みの余地がめちゃくちゃたくさんある作品だってこと。同じ本を読んだ人たちと、あれはこういう意味なんじゃないか、こんな風にも読めるんじゃないかと読書会をやったら、すごく楽しそう。

ただしものすごく長い……

ここまでこんなに褒めてきた本作品ですが、実はわたくし、2度ほど途中で読むのを挫折しています。2回とも、全21章中8章ぐらいまで読み進めて、「まだ半分も読めてない……なぜだ……疲れた……」と一旦本を置いて、そのままになってしまうというパターンでした。で、2度目の挫折時に「面白いのにどうして途中でくじけてしまうのか」と疑問に思ってちょっと調べてみたところ、そもそも本自体がけっこう分厚いのだとわかりました(kindleで読んでいたので気づいてなかった)。

紙の本のページ数だと文字サイズでけっこう変わってくるのでオーディオブックで比較すると、この本は14時間16分もあり、これはあたしの所持しているすべてのオーディオブックの中で2番目の長さです。1位はスティーヴン・キングの『シャイニング』(英語)で、15時間56分。3位はやはりスティーヴン・キングの『クージョ』(英語)で、14時間7分。つまりThe Miseducation of Cameron Postは、ノンネイティブスピーカーが英語で読む際には、「YA小説だしサクッと読めるだろ」ではなく「キングの小説を1冊読み切るぞ」ぐらいの心構えが必要な作品なんでした。内容自体は面白いので、半分まで行けば後はノンストップで行ける(というか、行けた。7割超えたあたりからは『后の位も何にかはせむ』ぐらいの勢いだった)んですけど。

なお、この作品はクロエ・グレース・モレッツ(Chloë Grace Moretz)主演で映画化されていて(米国で2018年8月3日から公開)、上映時間は90分らしいです。たぶん原作の内容は相当刈り込まれていることと思いますが、時間がない方はまずこちらを見てみた方が早いかも?

まとめ

長くて読むのが大変ではありましたが、その価値は十二分にある小説でした。ゲイティーンの複雑な内面がリアルに描かれているし、いろんな象徴をフル活用して話に奥行を持たせているところも面白いです。『キャロル』みたいに、映画化を機にこの原作小説の邦訳が出ればいいのに。

The Miseducation of Cameron Post

The Miseducation of Cameron Post