Netflixのリブート版『クィア・アイ』初のトランスジェンダーの依頼者、スカイラー・ジェイ(Skyler Jay)さんが、彼の出演した回の内容に関してファブ5を弁護する発言をしています。
詳細は以下。
Queer Eye’s first trans participant defends the Fab Five following criticism of episode · PinkNews
『クィア・アイ』は、「ファブ5」と呼ばれるおしゃれなゲイ男性5人のチームが依頼人の外見も中身もステキに改造するというリアリティ番組。トランス男性のスカイラーさんが依頼人として登場するのはシーズン2第5話で、この回では彼のファッションや自宅インテリアの改造のほか、乳房切除手術や運転免許証のジェンダー変更、そしてファブ5がトランスについてスカイラーさんからあれこれ教わる姿などが描かれています。
ひとりのシスジェンダー視聴者としては、この回は感動的ではあるんだけどいろいろ雑だと思いました。詳しくは以下の感想をごらんください。
で、この回にはトランスのコミュニティからもいろいろ批判が出てるんですよ。INTOやScreen Crushで提示されている論点をまとめると、だいたい以下のような感じになります。
- スカイラーと彼の経験が、トランスでない人の無知を矯正するための教育ツールにされてしまっている
- トランスの人がシスの人の「理解」のために手術室にカメラを招くのはおかしい
- シスの人が勇敢だということを示すために、その人の膝の手術の場面を見せたりする?
- トランスの人がシスの人の「理解」のために手術室にカメラを招くのはおかしい
- 性別移行の医療面に話の焦点を当て、「ビフォー・アフター」写真を見せるなど、シスジェンダーの人たちの好みに迎合した話になっている
- トランスジェンダーの人が全員自分のアイデンティティーを正当なものと認めるために手術したがっているわけでも、手術を必要としているわけでもないのに
- ファブ5のひとり、タンが「これまでトランスの人に会ったことがない」と言っているがそれは正しくない(気づかないだけで会ったことがある可能性が高い)
- トランスジェンダーのコミュニティから何度も無神経だと指摘されてきた言い回しが多用されている
- "transgendered"という形容詞("transgender"の方が適切)
- トランス男性の胸を"breasts"と呼んでいる("chests"の方が適切)
- 「間違った体で生まれた」という言い回し(トランスの人々は生まれながらにして間違っている、または欠陥があるのだというシスノーマティブな表現なので不適切)
- 非トランスの人々を「わたしたち(we)」と呼び、「シス」「シスの人々」と呼ばないのは問題(トランスの人々は『わたしたち』の仲間ではないってことになるから)
さて、them.でのインタビューで、スカイラーさんはこれらの点について以下のように説明し、ファブ5を弁護しています。
- ファブ5は本当にいい人たちだった(TVより実物の方がなおいいぐらい)
- 番組冒頭でボビーが"transgendered"と言ったのか、それとも"transgender"と言ったのか、自分には聞き分けられなかった
- 1週間ファブ5と過ごして撮ったものを1時間番組にまとめるため、カットされた部分がたくさんある
- タンの「トランスの人に会ったことがない」発言に対する自分の意見もカットされてしまっていて残念
- 自分はいつも「それって、その人がトランスであることを自分が知っている人には会ったことがないってことだよ」と言って、オープンリー・トランスの人では自分が初対面かもしれないけれど、ぼくたちはどこにでもいると答えている(タンに対してもそうした)
- タンはとても情報が遮断された環境で育っていて、彼の無知を責めようとは思わない
- タンの「トランスの人に会ったことがない」発言に対する自分の意見もカットされてしまっていて残念
- (スカイラーがファブ5の『教育』に使われているという批判について)編集の問題だと思う
- 自分としては、この番組のターゲットは米国中西部の主婦層だと知って、すごい、その人たちがトランスの子供からカミングアウトされたときどうすればいいか教えてあげようと思っていた
- ファブ5が「メガホン」になって、トランスの人々がどんなことで困っているかについての基礎的な知識を広める助けになってくれるといい
"transgendered"(これ3:17ぐらいのところに出てくるんだけど、あたしの耳には何度聞いても"transgendered"としか聞こえませんでした)以外の部分はとてもよくわかると思ったし、実際最大の問題は編集にあると思います。迂闊な発言は誰でもする(特に自分が特権持ちの立場にいるときには)ものだけど、それに対するフォローの部分をカットせずに残しておけばこのエピソードの印象はずいぶん変わったろうし、その方が米国中西部の主婦層に伝わるものも大きかったんじゃないでしょうか。せめて字幕で注釈を入れるとか、やりようはいろいろあったと思うんだよなあ。結局のところ、ファブ5もスカイラーさんも悪くなくて、雑な構成がいかんのだと改めて思いました。