石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

『ピエタ(全2巻)』(榛野なな恵、集英社)感想

ピエタ 1 (YOUNG YOUコミックス)

ピエタ 1 (YOUNG YOUコミックス)

ピエタ 2 (YOUNG YOUコミックス)

ピエタ 2 (YOUNG YOUコミックス)

「理想的な共依存」を描くお話

心に傷を負った少女理央と、そんな理央を救う佐保子の話。友情をも恋愛をも越えた(でもキスシーンはあり)、2人の強い結びつきが描かれています。「悲劇的な結末だったらどうしよう」とハラハラしながら読み進めたのですが、無事ハッピーエンディングにたどりついてほっとしました。

すげえ身も蓋もない言い方をするなら、これは「理想的な共依存」を描いたお話だと思いました。特に、元不登校の佐保子を「一般人とは異質の感受性を持っている」と賞賛したり、リストカッターで自殺未遂を繰り返す理央を「栗毛の馬の群れの中に1頭の白銀の小さなユニコーンがまぎれ込んでしまったよう」と美化したりするくだりには、心病める人のナルシシズムの香りが漂っていて、個人的にはちょっといただけないものがありました。

「良い親」としてのカウンセラー夫妻

お話の中で佐保子や理央を美化するのは彼女たち本人ではなく、理央(と、昔の佐保子)を診ているカウンセラー夫妻(夫がカウンセラーで、妻は精神科医らしい)です。しかし、読めば読むほど、彼らが実在する人間なのかどうか疑わしくなってくるんですよ。というのは、彼らの行動はどう見てもまともな治療者のものではないから。

幼い理央にのめり込んで「休みのたびに家に招き ささやかな手料理をふるまい 一緒に音楽を聞いて午後を過ごす」(1巻p83より)なんて、カウンセラーとしていちばんやっちゃいけないことでしょう。治療契約を自ら逸脱してしまったら、クライアントにとっては百害あって一利なしのはず。さらに、成長した理央が自殺未遂をすればすぐさま駆けつけ、お見舞いにも行き、理央の家族関係に介入して「今後、繁子さん(理央の継母)とは関わりを持たないほうがいいね」と指示出しまでしてるんですよ、このカウンセラー。どう見ても逆転移であり、患者であるはずの理央にベタベタに依存した行動であって、プロの治療者のやることではありません。

このように見ていくと、ひょっとしたらこのカウンセラー夫婦というのは理央の妄想の中にだけ存在する分裂自我なのではないかとすら思えてきます。そこでの彼らの役割は「(理央にとっての)理想の親」です。食事を与え、一緒に過ごし、何かあったら心配して大騒ぎしてくれる親。理央にべったり巻き込まれ、振り回されてくれる親。彼らが理央をユニコーンと呼んで賞賛するくだりにどうしようもないナルシシズム臭を感じてしまったのは、そういうわけです。

「聖母マリア」としての佐保子

カウンセラー夫妻が「良い親」だとしたら、佐保子はいったい何なのか。それは、「良い親」との共依存では結局救われなかった理央が求める、「絶対的に(それこそ、傷ついたイエスを抱きしめる聖母マリアのように)自分を抱きしめてくれる人」を具現化した存在なのだと思います。

理央と佐保子との依存関係は奇跡的なまでにうまくいき、それは「運命」というデクス・エクス・マキナによって説明されているのですが、そこに一抹の絶望を見るのはあたしだけでしょうか。現実には、ここまで相手にべったりの共依存関係なんて、そうそううまく行くもんじゃありません。それを可能にするのは、それこそ神がかり的な幸運だけ。もっと言ってしまえば、こんな関係が可能になるのは、おとぎ話の中だけでしょう。

そう思うと、ハッピーエンディングなはずのこのお話が、すごく哀しい物語に見えてきます。おとぎ話の住人たりえぬ自分たち現実の人間は、聖母の胸に抱かれることなく、苦しみながらなんとか生きていくしかないのだなあ(それはそれで面白いし、いいんですけどね)と、しみじみしてしまったのでした。