石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

『ドリーム百合姉』(あどべんちゃら、一迅社)感想

ドリーム百合姉 (IDコミックス 4コマKINGSぱれっとコミックス)

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絵はかわいいが中身は屑

百合小説にはまり、百合な生活を満喫するためにお嬢様女子校に入学した暴走美少女「沙良」と、沙良に振り回される双子の妹「葉澄」が織りなすドタバタ4コマ。この漫画によると「レズ」(『レズビアン』とさえ呼ばれません)は見境なく同室の人間に襲いかかるセックスモンスターで、「変態」で、「肉体関係があるものは百合ではなくレズ」なんだそうですよ。作中のこのような言説は最後まで取り消されず、批判すらされないままです。同性愛の性的な部分ばかり誇張して偏見を強化し、キヨラカな「百合」との切断作業を行って喜ぶという、十年一日のごときホモフォビア漫画だと言えましょう。屑ですな屑。絵だけはかわいいんですけどね。

このへんがとっても屑

以下、問題だと思った台詞を列挙します。

はぁ!? ユリ……って レズなのかこいつ!?

冗談じゃないぞ そんな奴と同じ部屋にいられるか 何されるかわかったもんじゃねえ

百合の真理 それは心とその繋がり 葛藤と倒錯と愛がもたらす美学に肉体関係まで求める必要ないわ

むしろ肉体関係があるものは百合ではなくレズよ

知っていますか? 女子校には特別な文化があるということを。女の子同士の恋人という不思議なお話。

本来 百合にはその禁断の部分にこそ燃えるものがあるのよ

上記台詞の何がどう屑なのか

「レズ」連呼の問題

「レズ」は単純に「女性が好きな女性」を表す言葉ではありません。これはポルノの中で多用されてきた言葉なので、必然的に「エロいもの」「いやらしいもの」「オカズとしての観賞物」というコンテキストが、そこにまとわりついています。

試しにGoogleで「レズ」と「レズビアン」を検索してみるとわかりやすいかも。たった今自分でやってみましたが、前者だとヘテロ男性向けエロコンテンツが多くヒットし、後者は現実の女性同性愛者向けの情報が多く出てきましたよ。こうした状況の中、「レズ」という語には、ヘテロ男性向けのポルノのイメージが濃厚に絡みついています。

よって、この言葉をシンプルに「女性同性愛者」という意味で使うには、ポルノ的なコンテキストを明確に打ち消せるだけの要素が必要なんです。たとえば、発話者自身がレズビアンであるとか。あるいは、話し手と聞き手(不特定多数に公開された場であれば、その不特定多数も『聞き手』のうちに入ります)の間に、お互いが同性愛者を蔑視していないという共通認識があるとか。そうではなしに不用意に言い放つ「レズ」という語には、少なくともいち同性愛者としてあたしは警戒しますよ。「この人、『レズ』はエロいもの、セックスばかりで精神的な愛がないものっていうポルノイメージをそのまま持っているんじゃ」と思ってね。

ではこの『ドリーム百合姉』はどうか。「レズ」は「何されるかわかったもんじゃねえ」存在だと決めつけているキャラクタ「仁篠あやめ」は、どう見ても非レズビアンです。レズと呼ばれる沙良も、おそらく百合萌えしているだけの非レズビアン。そして2人して「レズ」は「変態」、「肉体関係があるものはレズ」との主張を崩さず、熱心に偏見を再生産しています。同性愛の性的な側面ばかりを極端に誇張して蔑視するという、手垢のついたステレオタイプですね。この漫画が売られている現実社会に生きる同性愛者のひとりとして、真剣に迷惑です。

「レズ」と「百合」の切断の問題

百合という語はもともと、1970年代にゲイ雑誌『薔薇族』編集長の伊藤文學氏が女性同性愛者を「百合族」と呼んだことから来ています。ゲイが薔薇ならレズビアンは百合だろう、という発想によって命名されたものと聞いたことがあります。

インターネットのなかった当時は、こうしたゲイ雑誌の文通欄が、同性愛者の出会いと交流の場として大きな役割を果たしていました。レズビアンには専用雑誌がなかったため、『薔薇族』文通欄の片隅に「百合族の部屋」なるスペースが設けられていたそうです。

つまり「百合」はもともと現実の女性同性愛者を指す言葉だったわけです。それを勝手に奪っていって、肉体関係がある「レズ」は百合じゃない! とばかりに当の同性愛者を蹴り出すっていうのはどうなの。庇を貸して母屋を取られるという言葉がありますが、この場合は「庇を勝手に使って母屋まで奪い取る」でしょうか。図々しいにもほどがあります。

上記のようなことを言うと「言葉は時代によってうつりかわるもの、だから問題ない」としたり顔で説教を始める人が出てきそうです。しかし、だとしても

百合の真理 それは心とその繋がり 葛藤と倒錯と愛がもたらす美学に肉体関係まで求める必要ないわ

むしろ肉体関係があるものは百合ではなくレズよ

という台詞(p. 52)は問題大ありです。これでは「レズ」には心とその繋がりがないと言っているのも同然で、失礼極まりないからです。「レズ」と「百合」を切断したいからといって、女性同士の精神的な繋がりを勝手にあたしたちから取り上げるのはやめてください。

「特別」「不思議」「禁断」の問題

こういう言葉をツルツル使っちゃうこと自体が、同性愛者を肩を並べて生きてる隣人だとみなしてないってことの表れだと思います。

女同士の愛なんてどこにでもあって、別に「特別」でも「不思議」でもありませんよ。あなたたちヘテロが特殊視・スティグマ視してはしゃいでるだけですよ。ましてや「禁断」って、そんなのヘテロが勝手にそう決めて弾圧してるだけのことでしょ? 自分たちで人の恋路にマキビシばらまいておいて、それを踏んで痛がる人の姿を見て「燃える」と喜ぶだなんて、悪質にもほどがあるわ。こんな表現を、さも面白いことであるかのように商業誌に載せちゃう作者と編集部の見識を疑います。同性愛者は「特別」で「不思議」な存在で、そのへんでフツーに漫画読んでたりしないとでも思ってるんだろうなー。

まとめ

「ぜんぜん百合じゃないです でも本当はもうちょっとくらい百合にするつもりだったんです」という作者さんのお言葉(カバー見返し)に嘘はありません。これは百合じゃなくて屑。純粋な屑。コミック百合姫を出している一迅社の出版物とは思えないほど古典的なホモフォビアが満載された作品でした。定価800円(+税)、ドブに捨てたわ。「現代日本のホモフォビックな表象(の一環)を観察できた」とか、「ホモフォビア表象が地雷な百合好きさんのための人柱になれた」とかいう意味では、多少なりとも意義があったかもしれませんけど。