石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『君が僕を〜どうして空は青いの?』(中里十、小学館)感想

君が僕を~どうして空は青いの?~ (ガガガ文庫)

君が僕を~どうして空は青いの?~ (ガガガ文庫)

読者を翻弄する変化球百合小説

商売繁盛の神様“恵まれさん”をしている女子中学生「絵藤真名(えとうまな)」と、そんな真名に惹かれる「橘淳子(たちばなじゅんこ)」の物語。同作者さんによる『どろぼうの名人』(小学館)シリーズが剛速球ストレート百合だとしたら、こちらはキレのいい変化球な百合ですね。巧みに読者を翻弄しつつ、思いもかけないところで胸元を強烈に突いてくるタイプの小説だと思います。その翻弄具合についていけない人もいれば、かえって魅了される人もいるのではないでしょうか。あたしは後者です。この小説のなんとも言えないいぢわる加減と、意表をつく百合展開は、くせになりそうです。また、副題の持つ深みもとても面白いと思いました。

なんとも言えないいぢわる加減

「百合と言えばこう」みたいなステレオタイプをことごとく外しまくってみせた作品なので、テンプレ的な百合ストーリーを期待して読む人は狐につままれたような気分になるかもしれません。そういう意味では、すごくいぢわるな物語だと思います。

まず、お話の大枠からして「37歳子持ちとなった淳子が中学時代を回想する」というものであるところが型破りです。「男と寝たら百合キャラじゃない!」「百合ものには少女以外いらん!」派はここで脱落。

さらに、典型的な「女子校の王子様」タイプのキャラを登場させておいて、そのキャラをあっさり「紋切り型」と形容してみせ、おまけに同性に興味がまったくないドストレートとして描くところも斬新。女同士でウフフアハハと王子様お姫様ごっこを演じる百合ものが好きな人は、ここで脱落。

もうひとつ、真名を(同性愛的な意味で)好いている淳子が、恋愛感情よりもひたすら「真名は本当はお金を隠し持っているのではないか」という妄想(一種の生神様たる“恵まれさん”は現物のお布施だけで暮らし、お金は触らないということになっています)にばかりこだわり続けるという筋立ても非常に独創的でした。「女同士でどんな風に片想い/告白/キス/キス以上のこと」をするかという点にしか興味が持てない百合好きさんも、ここでたぶん脱落。

ただし、意地悪く「型」を外してみせるだけでは終わらないのが本作のすごいところ。油断した頃に、心臓をわしづかみにするようなボールがすごい角度で飛んでくるんですよ、この小説。

意表をつく百合展開

上記のようにお話自体が37歳子持ち女性の回想録だし、王子様はドストレートだし、淳子はやたらと真名の所持金のことばかり気にしているしで、途中で本当にこれは百合小説なんだろうかと疑ってしまわなかったと言えば嘘になります。ところがそうやって油断していると、いきなりこんなシークエンス(pp. 54 - 55.)が出てくるんですよ。以下、淳子と真名の会話です。

「あの本は役に立ってる?」

「ええ」

そしてまた沈黙。負けないぞ!

「お料理するの?」

「ええ」

「三食ずっと自分で作ってるの?」絵藤真名は毎日お弁当を持ってきている。

「ええ」

「一人暮らし?」

「ええ」

『ええ』しか言わないのかこいつは。じゃあ、

「私のこと嫌い?」

絵藤真名は微笑んだ。

「好き」

意表を突かれて心臓止まるかと思いました。

意表を突かれる箇所はここだけではありません。詳細は伏せますが、物語後半にはくちづけもセックスもきっちり出てきます。しかもそれが、日頃セックスを「宗教」と呼んで忌避していた淳子の言動と矛盾しない形で鮮やかな官能を描き、同時にある種の残酷さを浮き彫りにしてみせるという、きわめつけの変化球。これは面白かったですよ。単純なラブロマンスとはひと味違う濃密なドラマに、やっぱり心臓止まるかと思いました。

副題の面白さ

副題の「どうして空は青いの?」という質問は、実際にお話の中に出てきます。それに対する答えのいくつかが、どことなく禅的で面白いと思いました。

うろ覚えですが、禅宗の公案かなんかで、「海上で揺れる船を止めてみよ」というのがあったと思うんです。ひとりの修行僧は海が見える窓の障子を閉じてみせ、もうひとりは目を瞑ってみせた。で、3人目は一見何もしていないように見えるので、和尚が問うと、「わたくしは船の揺れに合わせて自分の心を上下させております」と答えたとかいう。なんとなく、それに近いものがあるなあと。

心のとらわれから抜け出せない淳子には、淳子の父や真名のような思い切った答えは出せません。淳子は、言うならば海に巨大クレーンを持ち込んで船をつり上げ、強引に揺れを止めようとしてしまうような不器用なタイプなのだと思います。そう思ってみると、真名と寝ることを想像ばかりしている(pp. 158 - 159)くせに、「女の子とそういうことをする人」ではない(p. 186)と言い続けるあたりも、やはり彼女の「心のとらわれ」の象徴なのかもしれません。淳子と野生動物のように自由な真名との最大の違いはこの「とらわれ」の有無であり、だからこそ淳子は「どこにも行けず、呆然としている」(p. 198)より他なくなってしまったのだと思います。

まとめ

既存の百合の「型」を破って、独自の「型」を華麗にキメてみせる百合小説だと思いました。ありきたりな百合こそ萌えツボ、という人には、とことん不親切な設計かも。でも、何か斬新で奇妙な味わいの百合ものが読みたい、ただのラブロマンスではなくひねりのきいた小説が読みたい、という方には非常におすすめです。あとがきによると、

次巻(もしあれば)のサブタイトルは『私のどこが好き?』。

だとのことで(p. 203)、こちらもぜひ読んでみたいと思います。