- 作者: マルチナ・ナブラチロワ,古田和与
- 出版社/メーカー: サンケイ出版
- 発売日: 1986/05
- メディア: 単行本
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率直かつユーモラスな自伝
女子テニスの伝説的プレーヤー、マルチナ・ナブラチロワが1985年(邦訳は1986年)に出版した自伝です。チェコで過ごした少女期のことからアメリカへの亡命、同性愛、そしてもちろんテニス選手としての成長と戦いについて、きわめて率直かつユーモラスに語られています。特に同性愛に関しては、「1985年にここまではっきり書かれていたなんて」と、びっくりさせられました。もちろん今の視点で読むと物足りない部分もありますが、それでもこの時代にここまでオープンに語ったというのは大拍手に値すると思うんです。マルチナ視点によるチェコとアメリカの文化のちがいも興味深く、最初から最後まで読みごたえのある本でした。
同性愛について
この本を読むに当たり、もっとテニスや亡命のことにページが割かれているのかなと思ったんですよ。同性愛についての話題は控えるか、あるいは相当ぼかされているのではないかと。ところが読んでみてびっくり、女性との初体験のエピソードも出てくれば、リタ・メイ・ブラウンとの関係についてもまるまる1章以上があてがわれています。同性愛全般についての意見も痛快で、特におもしろかったのはこのあたり。
アメリカのツアーに参加するようになってから、私は男性よりも女性といっしょにいるときのほうが楽しめました。そんな自分に気づいてもいました。でも、チェコスロバキアのボーイフレンドとの恋愛に幻滅したわけでも、男性に敵意をいだいたわけでもありません。私は自分を美人と思っていませんでしたから、それで男性といっしょだと居心地がわるかったのかもしれません。子どものころは、いつも男の子とあそんでいましたから、男性がきらいなわけでもありません。ただ、女同士でいることのほうが私には合っていたんだと思うだけです。
このへん、いちレズビアンとしてすごく共感するんですよ。レズビアンは別に男性経験がないからとか、男嫌いだからなんて理由で女性とつきあうわけじゃありませんからね。
こんなくだり(p. 231、p. 232)も、よくぞ言ってくれたと思うばかり。
ここ数年、スポーツ界での同性愛がいろいろとりざたされていますが、いつだったか、ある選手の母親はロッカールームで娘が誘惑されるんじゃないかと思って、しっかりくっついて歩いているんだ、という記事を読んだことがあります。なんて、ばかばかしいんでしょう。
同性愛がないとはいわないけど、それがすべてロッカールームからはじまるなんてことは嘘です。ドアはあけっぱなしで着替えるし、みんなの前で台に寝かされて、トレーナーからマッサージをうけることだってあるんです。プレーヤーには思慮深い人もいればそうでない人もいます。そかし、それと同性愛とどういう関係があるというのでしょう。
そうだそうだー! だいたい、口説きたければどこでも口説けるのに、なぜわざわざロッカールームなんかで「誘惑」しなきゃならないのか皆目わかりません。万が一にも異性愛者がそこで「誘惑」されたとしても、嫌なら断れば済むだけの話ですしね。
他によかったのは、マルチナ自身のつらい経験を紹介しつつも決してドラマ・クイーンにならず、時に冷静に、時にユーモラスにそれらの経験を振り返っているところ。たとえば、リタ・メイとの関係を知った父親から「まだ、売春婦だと言われたほうが救われる」とののしられたエピソード(p. 291)では、「両親の育ってきた世界ではそれが常識だったのだ」という苦い洞察がクリアに描かれます。マスコミに同性愛を暴露された後、対戦相手のクリス・エバートに「がんばって、クリス! ほんものの女性に勝ってもらいたいのよ」と叫ぶテニスファンがいた(じゃあ何か? レズビアンはにせものなのか?)という話では、こう(p. 89)。
これじゃ、むしろクリス・エバートがかわいそう。声援するなら彼女のすばらしいところに声をかけるべきなのに……
野次もかたなしですよね。
なお、この1冊をつうじて、同性愛関連の話題であたしがもっとも好きなのは以下の部分(pp. 217 - 218)です。
ある人がこんなことをいいました。「社会はまだ、それを受け入れる態勢にないんだよ」と。私は「そう? でも私たちだって社会じゃないの」
うおおおかっこいいぜー!!
チェコとアメリカのちがい
共産主義体制のチェコスロバキアから自由の国アメリカに憧れて亡命したナブラチロワですが、だからと言ってなんでもかんでもアメリカを賞賛したりはしていません。健全な批判精神でもって、両国のいいところも悪いところも小気味よいほどはっきりと腑分けしていくのです。
読んでいて特に驚かされたのは、ふたつの国でのジェンダー観のちがい。驚いたことに、チェコ語には「おてんば娘」に相当する単語そのものがないんだそうです。チェコスロバキアでは、女が仕事をするのもスポーツをするのもごくあたりまえのことで、実際ナブラチロワの少女時代も、女の子が「男の子にまじってアイスホッケーやサッカーをやっていても、不思議に思う人はいませんでした」(p. 80)とのこと。
翻ってアメリカというのは、かつては「スポーツをやる女性は性の面でいずれなんらかの影響がある」と言われていた(p. 80)国で、今でも女子選手に“女らしさ”を求め、はっきりものをいう女性アスリートを嫌う傾向にあるとナブラチロワは分析しています。これ、当たってると思うんですよねえ。そして、オリンピック女子選手にいちいち「結婚は」「子どもは」なんて聞いてばかりいる日本はかなりアメリカに近いな、とも。
今読むと物足りないところ
筆者が結局自分のことをはっきりレズビアンだと述べていない(男性と子どもを作る可能性を示唆していたりもします)ところや、リタ・メイ以外の恋人たちとの関係が「友だち」とも解釈できる書き方になっているところは、今の目で見ると物足りない印象も受けます。しかし当時の彼女が置かれた状況を考えると、これもやむを得ないことだったのではないかと。
それを象徴しているのが、移民局での国籍取得の審査の場面。性的指向について質問されたナブラチロワは、「バイセクシャルです」と答える(P. 329)んです。それが「大きらい」ないい方(p. 278)であるにもかかわらずです。これは、まだソドミー法が存在したアメリカで、同性愛者であることが国籍取得の足を引っ張るのではないかという恐れがあったから。そうした背景からすると、当時はこれぐらいのバランスがぎりぎりだったのかもという気がします。いつか現在のナブラチロワが、後日譚をまとめた半生記パート2を出してくれるとうれしいです。
まとめ
少しだけ時代を感じさせる部分もあるけれど、ユニークで力強い半生記であることにかわりはありません。どうせなら、これが出版されてすぐ読みたかったなあ。