石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『Redefining Realness: My Path to Womanhood, Identity, Love & So Much More』(Janet Mock, Atria Books)感想

Redefining Realness: My Path to Womanhood, Identity, Love & So Much More

トランス女性ライターの勇気ある自伝

トランスジェンダー女性のライター、ジャネット・モックによるメモワール。率直で、かつ洞察に満ちた個人史であるとともに、LGBTコミュニティで声を奪われがちな「下層階級出身の、有色人種のトランス」という立場から発言した画期的な本。

度肝を抜く赤裸々さ

ジャネット・モックは1983年生まれの米国人で、ハワイ系と黒人のミックス。ニューヨーク大学でジャーナリズムの修士号を取ったのち、オンライン版「People」のエディターとして成功をおさめました。2011年に「マリ・クレール」誌でトランスジェンダーであることを公表し、一気に注目を浴びることに。その後はアクティヴィストとしても活躍し、数々の賞を受賞しています。

しかし、ロウワークラス出身で有色人種、しかもトランスジェンダーの彼女にとって、ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。この本は、彼女の華々しい成功の陰にあったサバイバルの日々を赤裸々に綴ったもの。どれくらい赤裸々かというと、10代のころ手術費用を稼ぐためストリートでセックスワークをしていたときのサービス内容と価格まで明かされているぐらい。ちなみにいちばん安い行為が40ドル、次が60ドル、追加料金は20ドルから40ドルで、客がそこそこキュートなときは120ドルで特別なメニューを提供していたんだそうです。有色人種のトランス・ガールには他に選択肢はいくらもなく、仲間同士で助け合いながら、18歳のジャネットはこの方法でひたすら働いていたとのこと。マスコミ好みの「お金も情報源もあるアッパーミドル白人家庭の子が幼くしてトランスジェンダーだとわかり、周囲の支援でこんなに幸せに」という「最良のケースのシナリオ」(p. 120)とは180度違う、ひりひりするような現実が、ここにあります。幼少期に受けた性虐待からも、ホームレス寸前の困窮からも、トランスとして受けた屈辱からも、彼女は決して目をそらしません。この妥協のない筆さばきと、それを支えている知性とに、まず深く胸を打たれました。

「本物の女」とは誰なのか

どこを切っても名言が飛び出すと言っても過言ではないほど鋭い洞察にあふれた本です。たとえばLGBTコミュニティの中の「LGB」と「T」の立場の違いについて、そして性的指向と性自認について、これほど明快に、かつ説得力を持って書かれた文章をあたしは他で読んだことがありません。各種統計などのリソースを用いた論の立て方も明確で、トランスのみならずすべてのシスジェンダーが読むべき本だと思います。

書名にも明示されている「本物であることとは何か」というテーマにも大いに共感しました。トランス女性に対する誉め言葉のつもりで使われる「『ナチュラルな』女より美しい」という形容にも、「パスする」(passing)という言い回しにも、そしてトランスであることを黙っているだけで「隠れている」と決めつけられてしまうことにも、「トランスジェンダーは『偽物』である」という発想が根幹に潜んでいると、ジャネットは言います。特に以下の部分(p. 257)は圧巻でした。

人はよくこうした(訳注:ゲイやレズビアンの)カミングアウト経験をわたしにあてはめ、クロゼットでいるのは、隠れているのはどんな気分だったかと尋ねる。このような質問にはいつも当惑してしまう。セクシュアリティとは違い、ジェンダーは目に見えるものだ。わたしは決して自分のジェンダーを隠してはいなかった。太陽の光を浴びて出かけるどんな日も堂々と女性でいたのであり、目に見える女だったのだ。人がわたしをクロゼットにいたと思い込むのは、わたしが生まれた時割り当てられた性別が男性だったということを開示しなかったということによる。

この人たちが本当に聞こうとしているのは、「本物の女性だと思われたとき、どうして訂正しなかったのですか」ということなのである。率直に言って、わたしには他の人々の感じ方や、彼らが何が本物で何が偽物と考えるかについて責任はない。人間は「自分には他の人のアイデンティティーを決めつけて、その決めつけを相手のジェンダーや肉体に投影する資格がある」という勘違いを生む特権意識を廃止すべきである。

People often transpose the coming-out experience on me, asking how it felt to be in the closet, to have been stealth. These questions have always puzzled me. Unlike sexuality, gender is visible. I never hid my gender. Every day that I stepped out into the sunlight, unapologetically femme, I was a visible woman. People assume that I was in the closet because I didn't disclose that I was assigned male at birth.

What people are really asking is "Why didn't you correct people when they perceived you as a real woman?" Frankly, I'm not responsible for other people's perceptions and what they consider real or fake. We must abolish the entitlement that deludes us into believing that we have the right to make assumptions about people's identities and project those assumptions onto their genders and bodies.

ちょうどこのくだりを読んでいた時期に、株式会社LIGが掲載した「【求人募集】ソフトバンクショップで働こう!とある美人社員とオカマの一日。」(魚拓)なる記事を読みましてね。臆面もなく「本物の女」という表現を使い、「オカマ」なるキャラクタを嘲笑するという厚顔さに、「なるほどジャネット・モックが批判している特権意識はこれか」と苦々しい気持ちになりました。この会社はさすがに批判(例1)(例2)を受けて当該記事を削除したようですが、もう本当にやめようよ、こういうの。「偽物」扱いされて自殺しちゃう人だっているんだからさ。

ジャネットのけなげさといたいけさ

日系人が多いハワイ出身なだけあってか、ジャネットの少女期の描写には日本の文化がちょくちょく登場します。人形で遊びたかったのに、家には相撲のアクションフィギュアしかなかったとか、それでもテレビでセーラームーンは見ていたとか。泣けるのは13歳のときのエピソードで、自分の女っぽさを少しでも表に出そうと、ママにサンリオショップで買ってもらったけろけろけろっぴのかわいいファイルを大事に持ち歩いてたんだって。何そのけなげさ。

この「けなげさ」というのは、この本全体に通底するキーワードかもしれません。政治的な本である前に、まずひとりのいたいけな少女の成長物語として感動的な内容ですからね。ニューヨークタイムズでベストセラーに選ばれたのは、それもあってのことではないかと。

まとめ

「ものすごく頭のいいシンデレラが、『自分のしていた暖炉磨きはこうだった』とたぐいまれな筆力で綴った本」と形容するのがいちばん正確かな。彼女を救った妖精は他ならぬ彼女自身の知性であり、それを武器につかみとった知恵と見識を、今本にしてシェアしてくれているのだと思います。もう誰も、無駄に灰をかぶらなくていいように。悩めるトランス・ガールはもちろん、あらゆるセクシュアリティとジェンダーの人が熟読すべき名著。

※Kindle版も出ています。

Redefining Realness: My Path to Womanhood, Identity, Love & So Much More (English Edition)

Redefining Realness: My Path to Womanhood, Identity, Love & So Much More (English Edition)