2015年10月3日、米国カリフォルニア州サンディエゴで、14歳のトランスジェンダー男性エメット・キャッスル(Emmett Castle)さんが自死しました。サンディエゴで10代のトランスジェンダーが自らの命を絶つのは、これで今年4件目です。
詳細は以下。
Family mourns transgender teen after he takes his own life - 10News.com KGTV ABC10 San Diego
エメットさんは昨年トランスジェンダー男性としてカミングアウトしています。家族はすぐにそのことを受け入れ、地域のLGBTサポートセンターの集まりに参加するよう勧めたり、うつ状態の治療のため医師の診察を受けさせたりしていたとのこと。
しかしながら、いくら家族が協力的でも、それだけでは解決できないこともあります。思春期の体の変化のほか、学校で無理解にさらされることもエメットさんを悩ませていたようです。以下、彼の母親、サラ・キャッスル(Sarah Castle)さんの話。
「たくさんの人が、彼のことをどうしても"she"や"her"などのジェンダーと適合しない代名詞で呼ぼうとしました。エメットはひどく動転してしまい、父親のマイクが車で学校まで迎えに行かねばなりませんでした」
“A lot of people would misgender him as she and her. His father, Mike, had to pick him up from school because it upset him so much,”
エメットさんは3日の午前中、ミッション・ヴァレーにある父親の家で亡くなっているところを発見されました。
Advocateによると、今年サンディエゴで自死した他のトランスジェンダー・ティーンは以下の通り。
それでね。
うちの「LGBTニュース」では最近、こういう悲劇的なニュースはあまり積極的には紹介してないんですよ実は。訳していて自分が落ち込むということもありますし、性的マイノリティーについての知識がまだまだ行き渡っていない日本では、事件の衝撃が受け止め切れずに「こんな目に遭うのは本人に落ち度があるからに違いない!」と被害者非難に走る人が多そうだということもあります。
だけどね。
先日のレアジョブの件をまだひきずってるんですよ、あたし。おそらく「LGBT差別」と一口に言ったときに連想するものが、あの会長さんのような方と自分とでは相当違っていると思うんです。
自分にとってはそれは、こうして子供たちが自死に追い込まれることであり、大人であっても氷点下近い気温の中、半殺しで町外れの柵に縛られて18時間放置されることであり、あるいは「男性とのセックスを断った」という理由でレズビアンが殺されてゴミ箱に捨てられることなんですが、「差別は不快感の問題」程度の認識しかない方々には、こうした現実はほとんど見えていないのではないかという気がします。……というと「海外の極端な例ばかりじゃないか、日本には関係ない」とサブタイプ化をはかろうとする人が必ず出てくると思うので、日本での調査結果も置いときますね。
- LGBTの学校生活に関する実態調査(2013) 結果報告書 - いのちリスペクト。ホワイトリボン・キャンペーン
- 「多くの当事者は、LGBTをネタとした冗談やからかいに対して異議申し立てすることができずにいること、さらに場合によっては自己防衛のために一緒になって笑わざるを得ない環境にあることがわかった」
- 「いじめや暴力が希死念慮や自傷行為にも少なからず影響を及ぼしていることが明らかとなった」
- 東京新聞:性的少数者(LGBT) 6割「職場で差別を受けた」:暮らし(TOKYO Web)
- 「差別的言動のない職場では働き続けたいと答えた当事者は62%だったが、差別的言動のある職場では49%にとどまった。当事者は40%が睡眠障害、28%がうつにかかり、非当事者を大きく上回った」
今回亡くなったエメット・キャッスルさんをいつまでも女性代名詞で呼び続けていた人たちも、別に彼を差別するつもりでも、ましてや死に追いやるつもりでもなかったのではないかと思います。自分たちのしたことでエメットさんが動転しても、それこそ「不快感」の問題だとしか受け止めていなかったのでは。でも、それが結局この14歳の少年を殺してしまいました。こうした認識のギャップを埋めるにはどうしたらいいのかと、ここのところずっと考え続けています。せめて「こういう事実があった」ということぐらいはたとえ淡々とでも紹介していかないと、いつまでたってもLGBT差別は「不快感(だけ)の問題」に落とし込まれて放置され続けるのではないかと思ったり。こんな弱小ブログに何ができるって話ですけど、そこはほら、「隗より始めよ」ってやつで。