石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『お母さん二人いてもいいかな?』(中村キヨ(中村珍)、KKベストセラーズ)感想

お母さん二人いてもいいかな! ?

子持ちレズビアン婦妻(ふさい)の生活を綴るパワフルなコミックエッセイ

3人の息子を育てているレズビアンカップル、著者と妻のサツキさんの日々のあれこれを柱とするエッセイ漫画。一見波瀾万丈な、でも実は誰にでもありうる人生の断片がぎゅっと詰めこまれた、宝箱のような本です。

「LGBTの」本でも「同性愛者の」本でもなく

タイトルだけ見て「LGBTの」本だとか「レズビアンの」話だとか思ってしまった人がいたとしたら、それは大きな誤解。いみじくも著者があとがきで、

『私たちがレズビアンだから起きた出来事』ではなく、『多くの人の身に覚えがありそうな感情』や『(大っぴらにしないだけで実は)誰に身近でも珍しくない出来事』ばかりを選んで漫画化しました。

と説明している通り、これってぜんぜんレズビアン限定ではないテーマを持つコミックなんです。目ん玉飛び出す仰天エピソードも、深刻な話題や負の感情の描写も、そして最初から最後まで1ミリたりともぶれないテーマも、さまざまな立場の人がつい身近なことに引き寄せて考えずにはいられなくなるだけのパワーと普遍性に満ちていると思います。

考えてみれば、これはある意味当たり前のことだったりするのかも。だって、つきあう相手とジェンダーが同じだからといって、レズビアン(あたしも含めて)がいきなり異性愛者と何もかも違う謎の生命体になるというわけではないんですからね。少なくとも、この漫画で描かれているような「みっともないことや予想外のことも抱え込みつつ、大事な人のために悪戦苦闘する」という点にかけては、セクシュアリティの違いなんて屁ですよ屁。この漫画では、レズビアンならではの話題もどんどん出てくる一方、その「変わらない」部分がーーつまり誰にでもある悪戦苦闘の痛みや幸福が丹念にビジュアライズされていて、あたしはそれがとても嬉しかったです。

レズビアンならではの話題あれこれ

上でちょっと触れた、「レズビアンならではの話題」について具体例をちょこっと。たとえばこんな台詞が当たり前に出てくるんですよこの漫画。

「長丁場のセックス好き?」

「えーと…あー…4…5 6…時間…半日…いや! ストップかかるまで頑張れる…!!(引用者中略)指・掌・舌・唇・歯・鼻・太腿さえ動けばフルコースで一日中でも…※(※お好みに合わせて短時間でもできます)」

「全員女で全員同性愛者だと後妻が前妻に惚れたり前妻が後妻にとか…妻同士全員惚れたりする可能性あるんだ…!?」

どちらにも「わかるわかる」と笑い転げながら、「そうか、外側から見たらこれって『フツー』じゃないんだ」と新鮮な驚きを味わわせていただきました。

そして、この漫画がさらにすごいのは、著者が行きがかり上カミングアウトした相手から「女の人がいいんですね……」と言われた直後にサラッと口にするこんな台詞。

「そーんな“女の人”だなんて広範囲で恋愛してないよ~」

うおおおお! これも! わかりすぎる!

一応申し添えておくと、“女の人”の範囲すべてが射程圏内だというレズビアンもいないわけではないとは思うんですよ。でも、だからといって女性パートナーがいる女性が全員「“女の人”だなんて広範囲で」恋愛する人だと誤解されても困るわけ。そこには必ず個体差があるわけ。そういったことを台詞ひとつでごく柔らかく指し示すこの手腕に、しみじみと見とれてしまいました。

この柔らかさというのが、思えばこの本を読み解くポイントかもしれません。レズビアンのナラティブというのは往々にしてある種の圧力にさらされがちで、非レズビアンからは「ベッドで何をしているのか説明し、こちらの好奇心を満たすべきだ(どうせペニスがなければ本当のセックスではないに決まっているが)」的な侮り半分の期待が押し寄せる一方、レズビアンからは「レズビアンがセックス狂だと受け取られるようなことは言うべきではない」みたいなプレッシャーがかけられちゃったりします。この本は熟練ボクサーのごときフットワークでそうした圧力を受け流し、筆者にしかできない切り口で「一人分の“私”」(あとがきより)を丁寧に描き出してくれているのだと思います。

言語化についてあれこれ

本書の中で一貫して追求されているのは、「大切な人をいかにして尊重し、支え合っていくか」ということ。その尊重と支え合いに関して、思っていることの言語化・可視化という作業がとても大切にされているところが印象的でした。代表的なのはリビングルームのホワイトボードや覚書のエピソードですが、それ以外の部分でも、登場人物たちはとにかく言葉を惜しみません。「家族なのだから/彼女なのだから/友人なのだから言わなくてもわかってくれるはず」というようなもたれかかりは一切なしで、時には身も蓋もないことまで直球で口にしながら真摯に関係を築き上げていく彼ら彼女らの姿がまぶしくてねえ。

「愛は大切な植物のようなもの、受け取って棚に入れっぱなしにしたり、放っておいてもうまく育つだろうと思ったりしてはいけない。水をやり続けなければいけない。大事に世話をし、育てなければいけない」てなことを言ったのは、確かジョン・レノンでしたか。その具体例な実践例が、このご家族なんじゃないかと思いました。こんなステキなもん見せられてから本書のタイトルを見直した日には、「お母さん二人いても……って、いいに決まってるじゃん! 二人でも三人でもドンと来い!」と叫ぶよりほかありません。この本を読了して、子供にとって重要なのは親のジェンダーでも人数でもなく、こうやってフルパワーで大事にし合う・し合える人間関係の中で育つことだと改めて確信しましたよあたしゃ。

まとめ

「なんかすげーもん読んだ……!」というのが偽らざる感想です。ペンの力というのはこういうことのためにあるのかと思ったり。同作者さんのフィクション『羣青』を読んだとき、硬い拳で心臓を打ち抜かれたような衝撃を感じたものでしたが、この作品では拳というより大事な贈り物をいきなり胸のど真ん中にもらった感じ。今度は自分がこの贈り物を大切な人たちに配って回る番なのだな、と今強く感じているところです。

お母さん二人いてもいいかな! ?

お母さん二人いてもいいかな! ?