レズビアンセックスもアクションも良し
シャーリーズ・セロン主演のスパイアクション映画。女性同士のラブシーンに余計な理由づけがなく、「したいからしている」感があって大変よかったです。アクションも壮絶にして痛快、色彩や音楽もスタイリッシュ。ただ、筋がわかりにくいのは残念。
息をするように女と寝る女
本作品の主人公ロレーン(セロン)は英国の敏腕諜報員。壁崩壊寸前のベルリンでとある機密情報の行方を追う彼女は、謎めいたフランス人スパイのデルフィーヌ(ソフィア・ブテラ)と出会い、すぐにベッドをともにします。見ていてちょっと新鮮だったのが、なぜふたりが女同士で肉体関係を持ったのかについていちいち説明されないこと。このキャラはレズビアンですよとかバイセクシュアルですよとかいう事前の念押しもなければ、女囚ポルノのような「男がいない特殊な環境だから」という合理化もなく、単にお互いの瞳に欲望の炎がともったらゴーなの。それでくんずほぐれつのホットなベッドシーンに突入するの。
この展開から思わず連想したのが、ディズニージュニアチャンネルの子供向けアニメ『きんきゅうしゅつどう隊 OSO』(原題:"Special Agent Oso")の、車椅子に乗ったゲストキャラの扱いのことでした。この番組は、クマのぬいぐるみの「オーソ」が毎回何かで困っている子供(ゲストキャラ)のところに駆けつけ、問題解決を手伝うというものなんですが、ゲストキャラが車椅子の子だったとき、「なぜその子が車椅子に乗っているのか」の説明が一切なかったんです。子供の困りごとも、車椅子とはまったく関係なし。つまり、「マイノリティを画面に登場させるなら、そのマイノリティ性にからめた特別なストーリーを用意しなければ」みたいなくっだらない前提なしで、単なる当たり前の存在として車椅子キャラを出していたわけ。『アトミック・ブロンド』のレズビアンセックスの描写には、これと同じ種の自由さがあると感じました。いけると思ったら息をするように女と寝る女スパイ、それがロレーンなんです。いいぞいいぞ。
ひとつつけくわえると、逆にデルフィーヌが女性だからこそ、この「双方がファックしたいと思ったからしましたが何か」的ないさぎよいベッドシーンが可能だったのかもしれないとも思います。相手が男性だと、既存のしょうもないヘテロ規範が邪魔をしてしまって、ここまで力強くてセンシュアルな関係は表現しにくかったんじゃないかなあ。ちなみにこのデルフィーヌというキャラは、タフで冷静沈着なロレーンが珍しく人間的な感情を見せる場面で重要な役割を果たしており、特に体だけの関係担当というわけでもないと思います。欲を言うと、もう少しデルフィーヌの内面を描いて、見せ場も作ってくれたらさらによかったとも思いますけど。ソフィア・ブテラの存在感こそさすがだけれど、ロレーンにくらべるとわりかし平板なキャラなんですよ、デルフィーヌ。
シャーリーズ姐さんのド迫力
トレイラーが公開された時点で相当話題になっていたシャーリーズ・セロンのアクションは、そりゃもうすさまじかったです。セロンが1日5時間のトレーニングをして撮影したという格闘シーンは、MMAファイターのジーナ・カラーノが主演した『エージェント・マロリー』をもはるかに上回るド迫力でした。
まずね、コレオグラフィーがいいんですよ。女vs男のアクションだと、男性キャラが女性キャラの攻撃のタイミングに合わせて自主的に吹っ飛んであげているのがあからさまにわかる映像になりがちですが(そしてそれも映画によっては間違いではないのですが)、この作品の戦闘シーンはまったく違います。ロレーンの投げは回転がコンパクトで合理的だし、前蹴り・掌底・肘・膝アンドその場にあるものを何でも使った凶器攻撃を最短距離でガッツンガッツン叩き込むファイトスタイル(そして戦闘後の満身創痍の身体でも、ナックルパートは擦り向けていないという芸の細かさ!)も大変プロっぽくてリアルなものに見えました。早い話が、ロレーンは本当に痛くて効きそうな攻撃をするため、いちいち敵役にわざとらしいリアクションをさせる必要がないんです。
敵の攻撃が負けず劣らず苛烈で、主人公がちゃんとダメージをくらっているところもよかった。ロレーンが敵ともども脳震盪を起こしてぐらんぐらんになりつつ戦い続ける場面や、『ダイ・ハード』よろしくガラスの破片を踏み越えて戦う場面、そして痣だらけになった身体を氷風呂に漬けて回復をはかる場面など、彼女のプロとしてのタフさがよく表現されていたと思います。
そういえば、ロレーンが戦う人であることについて、シャーリーズ・セロンは2017年のサンディエゴ・コミコンでこんなことを言っています。
- 「女は食事と保護を与えるもの(nurturer)であって、なんらかの理由なしには戦士(warrior)にはならないと思われているかもしれません。それは問題だと思います。わたしたちは実は戦士なのであって、今はそれを示す時」
- 「女が戦う人になるために、子供や夫を失ったり、何らかの復讐物語を背負っていたりする必要はありません。それは時代遅れだと思います」
- 「ロレーンはただロレーンであるだけで、わたしたちはなぜ彼女が存在し、なぜこの仕事やこういうことに長けているのか説明しすぎる必要はないんです」
本当にこの通りの映画だったと思います。うがった見方をするならば、台所でのバトルシーンでロレーンが2人の男の金的を潰し、さらに冷蔵庫の扉を頭に叩きつけて昏倒させるところなど、まさに女性がこれまでnurturerだと決めつけられてきたことに対する反撃の象徴なんじゃないかと思いました。
その他あれこれ
- 画面の色彩がスタイリッシュでした。東ベルリンは彩度低めのブルーグレイを基調とし、西側はうってかわって暖色系でまとめ、どちらもアクセントカラーに赤があしらってあるんです。
- 音楽もザ・80年代といった感じでたいへんよろしく、サントラがほしくなりました。いちばんのお気に入りは、ジョージ・マイケルの"Father Figure"の使い方。
- しかし、80年代ドイツというとすかさずネーナの「ロックバルーンは99」がかかるというのは、いいかげんもうマンネリでは?(この曲が使われている場面自体は強烈で好きだけど)
- 話は単純なのに見せ方が妙にややこしいので、注意して見ていないと途中で何が何やらわからなくなる可能性があるかも。特に後半はもう少し筋を整理した方がよかったのでは。
- おおまかなオチはわりと早くに読めましたが、最後のひねりには正直「やられた」と思いました。ロレーンの最後の台詞は、半分は目の前の相手に、もう半分は観客に向けて言っているのだと思います。日本語字幕は原語とちょっと違う意味になっている(あれだと目の前の相手にしか言ってない感じになる)ので、できたら英語で何て言ってるか聞いてみてください。
- 鑑賞後、一緒に見ていた彼女と開口一番に交わした会話は「シャーリーズ姐さんかっこよかったけど、結局×××・×××××の役がいちばんいいところをさらっていったよね」「あれなら"**********"って言われても許すよねー」でした(×にはカタカナが、*にはアルファベットが入ります)。
- その次に交わした会話は「昔だったらあのベッドシーンだけで10回は映画館に通っていたはず」「わかる」でした。
まとめ
レズビアンセックスもアクションも大変よろしく、強い女の活躍をこころゆくまで楽しめる映画でした。せっかくのソフィア・ブテラが生かし切れていないのと、筋が必要以上にややこしいのだけは残念ですが、全体としては大好きな作品です。今は21世紀なので、映画館で見た後すかさず米iTunes Storeでダウンロード購入して繰り返し楽しんでいるところなんですが、20世紀だったら本当に10回ぐらいは映画館に通っていただろうと思います。
おまけ
シャーリーズ・セロンがふざけてソフィア・ブテラに「実生活でガールフレンドになってくれない?」と言っているところ。
一方ソフィア・ブテラはソフィア・ブテラで、シャーリーズ・セロンはとてもキスが上手だと語っていたりします。ははは。