石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

ノスタルジックなカミング・オブ・エイジもの ただ詰めが甘いところも~ドラマ『サイテー! ハイスクール』シーズン1感想

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名場面盛りだくさんのティーン・レズビアン・ドラマ

Netflixオリジナルの青春ドラマ。1996年の米国を舞台にティーン・レズビアンのカミング・オブ・エイジがリアルに描かれており、可愛らしい名場面がたくさん。ノスタルジックな90年代描写も面白いです。ただし脚本はちょっと詰めが甘いかも。

レズビアン描写のここが良い

『サイテー! ハイスクール』は、「オタクで負け犬な放送部と人気者気取りの演劇部がひょんなことから協力し、自主製作映画を作ることになる」という一種の部活もの。主人公はハイスクール入学とともに放送部に入った黒人少年ルーク(ジャヒ・ウィンストン)で、この放送部の2年生の女子生徒、ケイト(ペイトン・ケネディ)がレズビアンという設定です。ケイトは脇役ではなく、ルークと並ぶもうひとりの主役といった位置にあります。

このケイトのセクシュアリティ描写が大変リアルでいい感じでした。彼女は同性と恋をする前からもう自分は女性に惹かれると気づいていて、性欲があり、自慰もします。それでいて、いざ女の子と付き合いだしたからといって、ヘテロ男性用ポルノみたいなわざとらしいエロシーンに突入したりはしません。さらに、好奇心だの、本当に同性愛者かどうか確かめるだのといった理由のもとに、いきなり男と寝てみたりもしません。誰も殺さないし、死にもしません。

つまりこのドラマって、

  • 女性の性欲は受け身なもの(何者かの手ほどきがあって初めて開花するもの)であるはず
  • 人間のデフォルトはヘテロ。従って、具体的な同性との性愛で同性愛者だと「証明」されていなければその人はヘテロ
  • レズビアンとは男が眺めて楽しむためのもの
  • レズビアンは本当は男と寝たがっているはず
  • 女が好きな女などけしからんので最後は不幸になるべき

……みたいなくっだらない社会通念をことごとくひっくり返してあるんです。その上で、現実世界の女性が好きな女性に本当に(本当に!)よくあるエピソードが散りばめられているところがさらに好印象。ケイトの自室のポスターのエピソードはジェーン・リンチが、そして初めて「私レズビアンかも」と口走るに至る流れはシェリー・ライトがよく似た(完全に同じではないにしても)経験を語っていたと思いますし、このふたり以外でも「自分もこんなだった」と微苦笑を浮かべるクィア女性は山ほどいると思います。ケイトがコンサート会場で女性同士のカップルを見かけるくだりには、アリソン・ベクダルが『ファン・ホーム』の"Ring of Keys"の場面で、そしてフィリス・ナジーが映画版『キャロル』のレコード店の場面で書いたのと同じ驚きと喜びが脈打っており、ケイトと相思相愛になる女の子のファッションの経時的変化といったら、まるでカミングアウト後のサラ・ラミレス。このドラマを見て「ケイトはわたしだ」とか「あれはわたしの物語だ」とか言っているレズビアンがとてもたくさんいるのは、当然というもの。

なお、ケイトのレズビアン・ロマンスの進展も、(多少うまくいきすぎるきらいはあるけれど)甘酸っぱくて大変よかったです。押さえておくべき名場面は以下の4点で、時間がない人はまずこれらだけでも見てほしいと思います。

  1. 試着室(S1Ep5)
  2. モーテルのベッド(S1Ep8)
  3. 階段(S1Ep9)
  4. ステージ(S1Ep10)

あ、余談だけどヘテロ恋愛もケイトの恋同様かわいらしくていいですよ。注目すべきキーワードは「松ぼっくり株式会社」と「バナナナメクジ」です。

ノスタルジックな描写について

90年代をノスタルジックに振り返る描写の数々に、「なつかしいのに新しい」という妙な面白さがあったと思います。VHSのビデオテープも分厚いTVも留守番電話も今となってはもうめちゃくちゃなつかしいのですが、ドラマでこれらを郷愁の対象として振り返るというのは、まだ「新しい」よね? ほんの最近『ストレンジャー・シングス』(2016-)や『ブラック・ミラー』の「サン・ジュニペロ」(2016)が1980年代を舞台にして懐かしがられていたばかりなのに、早くも90年代へのノスタルジアを狙っていくという攻めの姿勢がユニークだと思いました。

ただその一方、ZIMAだのアラニス・モリセットだのと固有名詞に寄りかかりすぎているきらいがあり、そこが物足りないとも思います。『glee』が2010年にマドンナ特集回をやったとき、廊下を歩く名もない生徒たちにそっとマドンナの過去のアイコニックな服装をやらせて、どれがどの曲のファッションかなんて一切説明しなかったのとは好対照。「その時代を知らない人でも自分なりにレトロ感が楽しめ、知っているとさらに深く楽しめる」という点で、『glee』のやり方の方が一枚上であるように感じました。

後半には詰めの甘さも

シーズン後半で演劇部のナルシシスト少年、オリヴァー(イライジャ・スティーヴンソン)が突然撮影をすっぽかして旅立ってしまったり、録音担当のレスリー(アビ・ブリットル)が唐突に放送部の負け犬男子トリオのひとり、タイラー(クイン・リーブリング)に色目を使い出したりする理由がよくわかりませんでした。負け犬男子トリオの中で比較的見せ場が少ないタイラーやマクウェイド(リオ・マンジーニ)にスポットライトが当たる場面を増やすための措置だったのかもしれませんが、だとしてももう少し辻褄合わせをした方がよかったと思います。

それからケイトについても、性的指向以外の記述が今ひとつ薄いように感じました。基本的にこの人って「困り顔で黙って立っているか放送機材をいじっているだけで、なぜか都合よくもててしまう」という受け身キャラであり、自分からアクションを起こすシーンが少ないと思うんです。その路線が最後までほぼ変わらないところが、自分にはちょっと物足りなかった感じ。

まとめ

何もかも百点満点だとまでは言いませんが、ことティーンエイジャーのレズビアン・ロマンスという点ではかなり丁寧に作られた作品だと思います。非ヘテロのティーン・ドラマはどれだけあってもまだまだ必要だし(今までが! あまりにも! 少なすぎたのよ!)、シーズン2も作ってほしいなあ。