名作というより怪作
映画『カッコーの巣の上で』の前日譚にあたるドラマ。クリエイターは『アメリカン・ホラー・ストーリー』のライアン・マーフィー。画面の隅々まで計算されつくした映像美がすばらしく、序盤のつかみも強烈です。でもプロットが途中からとっ散らかっていて、同性同士のロマンスの描写もわりと雑。名作というより怪作の箱に入る作品だと思いました。
序盤のつかみがとにかくすんごい
話の舞台は1947年。主人公のミルドレッド・ラチェッド(サラ・ポールソン)はある目的のもと、強引な手段で州立ルシア精神病院に看護婦(今風に言うなら看護師*1)としてもぐりこむ。巧みに人を操り、残酷な行為も平然とおこなう彼女だが、後ろ暗い過去を持つ院長(ジョン・ジョン・ブリオネス)、その首を狙う上流階級夫人(シャロン・ストーン)、入院中の患者を死刑にしたがる州知事(ヴィンセント・ドノフリオ)、その部下のレズビアン(シンシア・ニクソン)等々の思惑が錯綜する中、ラチェッドの目的達成は困難になっていき……という物語。
序盤の吸引力が凄まじく、第一話を見始めたとたんに以下のような古典的なジョークを思い出しました。
ある創作クラスで教師が言った。「読者を物語に引き込むコツは、冒頭に(1)謎、(2)セックスに関すること、(3)神に関すること、(4)庶民の覗き見趣味を満たすようなスキャンダルのいずれかを入れることだ」
ある生徒の作品の出だしはこうなった。
「『おお神よ!』と伯爵夫人は言った。『お腹の赤ちゃんの父親は、いったい誰かしら?』」
ジョーク以外でここまでベタなことをする人はいないだろうと思っていたのに、ライアン・マーフィーはいけしゃあしゃあとこれをやってのけて、首尾よく視聴者を手のひらの上で転がしています。「サラ・ポールソンが主役だって聞いてたのにいったいこの男は誰」(謎)とか、「この神父、過去にそんなことをしてたのなら因果応報じゃないか!」(神・セックス・スキャンダル)とか思っているうちにあれよあれよと話に引きずり込まれ、いざサラ・ポールソンが登場するころにはもうすっかり画面にくぎ付け。やられた。
ここから数話の間のラチェッドの冷酷さと底知れなさも、スリリングでおもしろかったです。トレイラーに出てきたロボトミーの手術が、まさかあんな局面で使われるとはねえ。こういうよもやの悪趣味展開を堂々とやってしまえるのは、ライアン・マーフィーの強みだと思いますね。
映像美に殴られる快感
色と構図の設計が、全体的に「緑と赤のコントラストにこだわるウェス・アンダーソン」みたいだと思いました。左右対称の構図が多用されていて、緻密でシンボリックで、大変目に快かったです。
まず左右対称について言うと、このドラマ、「第1話冒頭の教会の場面も左右対称なら、シーズン・フィナーレで車が地平線に向かって走っていくシーンも左右対称」という、文字通り最初から最後まで左右対称にこだわったつくりになっています。そして、これ以外にもシンメトリックな構図のシーンは山ほど。それはもう、『グランド・ブダペスト・ホテル』とみまごうぐらい。
緻密さにかけては、シャロン・ストーン演じるオスグッド夫人の屋敷内部のしつらえを見れば一目瞭然です。この屋敷のインテリアと、夫人のペットの猿、そして四肢切断された息子が何の暗喩になっているのか考えてみるのも面白いですね。自分はアンピュテーションが去勢を象徴し、猿が植民地主義を表しているんじゃないかと思いましたが、他の解釈もいろいろ可能なんじゃないかと思います。
それから色彩! 車や服などの人工物だけでなく、自然の風景まで駆使してひたすら赤と緑のコントラストを作っていくという徹底ぶりにしびれました。時代性を無視して敢えてナース服を緑に設定したのも、「考証よりも映像美で視聴者をぶん殴りに行く」ということなのだと思います。首尾よくノックアウトされた自分としては、このあざやかな映像を味わうためだけでもあと何周か見たいと思ってます。
でもプロットが力不足
途中からシナリオが破綻していて、「なぜこの人物がこういう行動をとったのか」がわからないシチュエーションが頻発しています。たとえばラチェッドは自分のセクシュアリティに抑圧的なレズビアンという設定で、途中からシンシア・ニクソン演じるグウェンドリンと恋仲になるんですが、なぜ彼女がここで突然心を開いてグウェンドリンを口説き始めるのかさっぱりわかりませんでした。オイスター・バーに行った日なんて、グウェンドリンにけっこうひどいことしてたよね、ラチェッド?
ラチェッドと敵対していた婦長または師長のベッツィ(ジュディ・デイヴィス)が、いつの間にやらラチェッドとグウェンドリンのバディ的なポジションにおさまっているのも不可解でした。ベッツィに対しても、相当残酷なことを平気でやってたよね、ラチェッド? ベッツィはベッツィで、ラチェッドに復讐を誓って、そのための材料をゲットしたりしてたはずだよね?
これらすべてがラチェッドによるマニピュレーションの一環で、最後に何かプロットのひねりがあるとでもいうのなら話は別ですが、そういう展開は特にありません。というかシーズン終わりに近づけば近づくほど話が迷走し出し、主要キャラをいきなり殺すとか、夢オチでドッキリさせたりするとか以外に見せ場の作りようがなくなっています。話の鍵になっているラチェッドの弟、エドマンド(フィン・ウィットロック)も途中からただの空疎で一本調子なキャラと化してしまっているし(照明で目の周りに影を作って思わせぶりなことを呟かせときゃいいってもんじゃないだろう)、いったいこれでどうやってシーズン2を作るんだろう……?
まとめ
スタイリッシュな画面構成と序盤の強烈さがよかっただけに、途中から話がやっつけモードになってしまうところが残念でした。もっとスリラー的な面白さを持続させてほしかったよ、せっかく集めた数々の名優がもったいないよ。でも奇妙な中毒性を持つドラマであることも確かなんで、自分としては嫌いにはなれません。たぶんシーズン2も見てしまうと思います。
*1:英語音声&英語字幕で見たので、日本語訳でどちらの語が採用されているのかは知りません。