石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『前夜祭』(小田扉、講談社)感想

前夜祭 (モーニングKC)

前夜祭 (モーニングKC)

奇妙な味わいの微百合青春劇

小田扉さんの百合物だと聞いて「どんなんだ?」と思いつつ読んでみたのですが、別にそんなに百合百合しいお話でもありませんでした。むしろ、「奇妙な味わいの思春期漫画」というカラーの方が強い作品かと。でも悪くないですよこれは。いや、むしろ、すごくいい。上手いんだか下手なんだかよくわからないけどやっぱり上手い絵と、「泥祭り」という不思議な設定、そしてキャラが立ちまくった登場人物たちの心の機微など、どれもとても楽しかったです。表題作以外のギャグ作品のすっとぼけたおかしみとあたたかさもナイスでした。

中野さんとあっちゃんの意味深な関係

「前夜祭」は、とある中学の奇祭「泥祭り」をめぐる少女たちの冒険を描く物語です。奔放で直情的で「躊躇というものがなさすぎる」女子の「港さん」が主人公「よし子」と仲良くなるところからお話が始まるのですが、このふたりは別にカップリングを構成しません。ちょっとだけ百合っぽいのは、よし子を敵視する「中野さん」と、その中野さんを守ろうとする「あっちゃん」(どちらも女です)の関係。特にあっちゃんの方が、

今度こそあんたを死ぬまで裏切らないから…

あたしの使命は中野…あんたを幸せにすること
そのためなら何でもするわ 松井を振り向かせろっていうなら首をねじってでも振り向かせる

とか言っているところが意味深でした。

ここで非常に面白いのが、中野さんとあっちゃんの紐帯が何によるものなのかは一切説明がなされないこと。どうやら小学生時代に仲良しだったのが何らかの理由でけんか別れしたらしい、ということだけがほのめかされていますが、それ以上の説明は藪の中です。でも、そこで変に理に落ちないのがかえってお話の深みを増していて、いいと思うんですよ。はっきりした恋愛ものとしての百合作品を求める方には合わないと思いますが、淡々と(しかし決然と)中野さんを守り続けるあっちゃんの姿は、あたしはすごく好きです。

絵と設定、そして心の機微

このへん、どれも素晴らしすぎます。まず、絵。素朴なのに精緻で、しかも奇妙な脱力感が漂っていて、見ているうちにくせになってしまいそうです。また、文化祭で行われる奇祭「泥祭り」の設定にも度肝を抜かれました。不気味な泥の仮面をかぶった「泥王」が泥オブジェを作って訪問者を出迎え、各クラスの展示や発表も泥一色(泥喫茶とか泥ゲームとか)って、それどんなアングラ祭りですか。しかもこれ、中学校でやることなんですよ。

このように不思議な絵柄と設定とで現実からいくぶんずらしたような世界にあって、非常にリアルなのが、登場人物たちの心の機微です。思春期らしい恋情やすれ違い、友達同士のすったもんだなどもさることながら、5年前に起きた事件の真相が明かされていくくだりでは大人のキャラたちの心情も丁寧に描かれていて、楽しめました。奇妙なだけでもリアルなだけでもなく、ちょうどその狭間にあるような、不思議な物語だと思います。

その他の収録作について

どの作品も、脳みそをダイレクトに揉みほぐされるようなすっとぼけたギャグセンスがたまりません。特に「なめくじびより」と「音楽教師」にはハートを撃ち抜かれました。笑えるだけでなく、微妙に切ないところがまたいいんですよ。

まとめ

表題作は「百合」と呼ぶには薄口ですが、中野さんを守り続けるあっちゃんの姿がとてもよかったです。奇妙さとリアルさをうまく取り合わせて繊細な心情を描いていく作風も素敵でした。ちょっとクセのある、すっとぼけた漫画がお好きな方におすすめ。