石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的備忘録。内容は主に(1)LGBTニュース、(2)ガール・オン・ガールのポップカルチャーなど。

『The Cross in the Closet』(Timothy Kurek, Green Bridge Press)感想

The Cross in the Closet (English Edition)

1年間ゲイとして暮らした異性愛者クリスチャンの手記

キリスト教根本主義者のホモフォーブだったティモシー。自分の信念に疑問を持った彼が他人の立場を知るために選んだ手段は「1年間ゲイとして暮らす」ということでした。偏見やステレオタイプを新たな角度からとらえ、愛について語る真摯なノンフィクション。(察しのいい方ならもうお気づきでしょうが、以前紹介したTEDxプレゼンテーションの元となった本です)

「他人の靴で歩く」勇気と行動力

英語圏では「他人の身になって考える」ということを指すのに、「他人の靴をはいて1マイル歩いてみる」("walk a mile in someone's shoes")という慣用句がよく使われます。キャメロン・ディアスの映画『イン・ハー・シューズ』のタイトルの語源ですね。これを1マイルならず1年間にわたってやりとげたのが、本書の著者、ティモシー(ティム)・クレクさん。バイブルベルト在住でガチガチの保守派クリスチャンだった彼は、あるきっかけから自分のホモフォビアに疑念を抱き、「ゲイのレッテルを背負って生きる」というのがどんなことなのか学ぼうと決意。自分自身は異性愛者であるにも関わらず、「周囲の人全員にゲイとしてカミングアウトし、そのまま1年間ゲイとして生活し通す」というプロジェクトに踏み切りました。

これだけでも相当な勇気がなければできないことですが、著者が本のなかで過去の自分の同性愛嫌悪のエピソードをさらけ出していく勇気もまた特筆もの。たとえば10代の頃バイト先のゲイ男性を「ホモ野郎」("faggot")と呼んでおおっぴらにいじめ、ありもしないセクハラ被害まででっちあげていた話など、よほどの覚悟がなければ書けないはず。キリスト教系大学でゲイの権利運動をしていた人に「出て行け」と言い放って得意になっていたというエピソードにも、腹を立てるよりむしろ「よくぞここまで開示したものだ」と感じ入ってしまいました。

自分の恥やあやまちから目をそらさない誠実さというのはつまり、偏見をこちら側とあちら側の両方から坦懐にとらえようとする誠実さでもあります。その基本姿勢に裏打ちされた彼の行動力は、もはや圧倒的と呼んでもいいほど。教会や家族からの拒絶に傷つき苦しみながらも、彼は進んで地元のLGBTコミュニティに加わり、さらにローマ教皇庁への抗議運動に参加したり(クリスチャンなのに!)、ウエストボロ・バプティスト教会にたった1人で話を聞きに行ったりと、ゲイやレズビアンでさえなかなかできないことにまで挑戦しています。単なる地味な宗教的ノンフィクションだと思うなかれ、これは驚くべき冒険の書なんです。

読者もまた「他人の靴で歩く」旅に

いち同性愛者としてこの本を読んでみて非常に面白かったのは、本書を通して読者の側もまたティモシーさんの靴をはいて歩く疑似体験ができるということ。靴には2足あり、ひとつは「ゲイとして生きる異性愛者の靴」。もうひとつは「(かつてのティモシーさんがそうだったような)ホモフォビックなキリスト教ファンダメンタリストの靴」です。

まず前者の靴では、多くの同性愛者が既に知っていることをまったく違ったアングルからとらえなおす体験が味わえます。中でも新鮮だったのは、クロゼットの苦痛やアウティングの恐怖のくだり。異性愛者がゲイになりすまして生きるということは、単にゲイだと宣言して偏見と闘えば済むというものではありません。本当の性的指向(ここでは異性愛)をクロゼットに隠し、「嘘がばれたらどう思われるだろう」と怯えて暮らすという第2章が待ってるんです。要するに、大々的なカミングアウトで始まったティモシーさんのこの1年間は、皮肉にもクロゼット・ゲイの生活を鏡写しにしたものだったわけ。

このクロゼット生活がティモシーさんのハートをおろし金のようにすり減らし続けていく過程を見て、本当の自分を偽り続けることがもたらすダメージの深刻さに改めて気づかされました。なまじ自分が同性愛者だと生存バイアスから過少視してしまいがちなこのダメージですが、生まれて初めてこれを経験した人の目を通して見ると、それがいかに残酷なものなのかよくわかります。本書に登場するとあるゲイ男性がいみじくも言う通り、「クロゼットは人を殺す」んですよ。「マイノリティは人目につかぬところに隠れていろ」というのは、暴力なんですよ。

次に、ホモフォビックなファンダメンタリストの靴では、以前から感じていたキリスト教根本主義に対する疑問(例:イエスは罪人を招くために来たはずなのに、なぜ根本主義者は公然と同性愛者を憎み続けるの? そもそも隣人を愛さなくていいの?)への答えが一気に得られました。さらに、彼らの中にも教義の矛盾点に対するわだかまりや、イエスの教えた愛が実践できていないことへの罪悪感があると知り、目からうろこがパリパリ落ちました。どれも宗派の外側から見ていてもわからないことだらけで、本書に出会えたのは僥倖の一言に尽きます。

旅の終わりの「ただのティム」

ティモシーさんはこの1年間の実験のさなか、自分が以前の「偏狭な異性愛者のティム」から「より柔和で、落ち着いていて、愛情あるゲイのティム」に変わったと感じ、一度はこんな風に考えています。

異性愛者のティムに戻ろうという気になれない。ゲイのティムが好きだ。彼の友だちが好きで、彼が心を開こうと努力しているところも好きだ。ぼくは今の自分自身が好きだ、以前よりもよっぽど。

I am not ready to be straight Tim again. I like gay Tim. I like his friends, and I like that he is trying to have an open mind. I like me, so much more than I did before.

しかしながら、これはまだ通過点。彼の考えは、最終的にはこうなります。

ぼくはゲイのティムではない。異性愛者のティムですらない。

ぼくはティムだ。そして、とどのつまりは、本当に大切なのはそれだけなのだ。

I am not gay Tim; I am not even straight Tim.

I am Tim, and in the end, that is all that really matters.

著者がこの血のにじむような自己成長の旅で最終的に気づいたのは、人と人とが互いにレッテル貼りをして分断し合うことの有害さ。南部バプテスト教会が同性愛者にネガティブなステレオタイプを押し付けるのも、「ゲイのティム」がメガチャーチでついついキリスト教徒たちに偏見を抱いてしまった(というエピソードが後半に出てくるんです)のも、結局は同じことを違う側からやっているだけ。そこから一歩踏み出してレッテルを捨てよう、ただ単に人を受け入れて愛そうというのが、ティモシーさんのつかんだ結論です。宗教や性的指向の枠を超えて、どんな人にもあてはまることなんじゃないでしょうか、これ。

まとめ

「自分とは異なる相手との共存」という誰にとっても身近な問題を大胆なアプローチで掘り下げた、必読の1冊。文体が平易で、それでいて内容はローラーコースター小説のごとき吸引力を持っているので、英語がそう得意ではない人でも読みやすそう。あとがきによるとこの本は2012年にクラウドファンディングで費用を集めて出版されたそうなんですが、そうと知ってりゃ自分も出資したかったです。

The Cross in the Closet (English Edition)

The Cross in the Closet (English Edition)

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ティモシーさん本人による、TEDxでのプレゼンテーションは以下参照。