石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

キンゼイ博士は間違っていた。性的指向はグラデーションじゃない(米研究)

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ワシントン州立大の研究者らが、人間の性的指向はキンゼイ博士が主張したような連続体ではなく、「異性愛者」「非異性愛者」というカテゴリーに分けてとらえた方が的確であるとする研究結果を発表しました。

詳細は以下。

Kinsey Was Wrong: Sexuality Isn’t Fluid - The Daily Beast

この研究の論文タイトルは"Homosexuality as a Discrete Class"といい、Psychological Scienceでアブストラクトを読むことができます。それによれば、ワシントン州立大のアリッサ・ノリス(Alyssa Norris)氏らは、アルコールおよび関連障害についての全国疫学調査(National Epidemiologic Survey on Alcohol and Related Conditions, NESARC)のデータを用い、米国の成人約3万人について分類分析(taxometric analysis)をおこなったとのこと。性的指向を示す指標としては、「アイデンティティー」「行動」「何に魅力を感じるか」の3種を採用。結果として、性的指向を表すには、キンゼイ・スケールのような連続体モデルより、「異性愛者」「非異性愛者」のカテゴリーで分けるモデルの方が適しているとわかったのだそうです。

キンゼイ・スケール(『キンゼイ評価尺度』、『キンゼイ指標』とも )というのは、米国の性科学者アルフレッド・キンゼイ博士らが1940年代後半に開発した、人間の性的経験の評定尺度のこと。評価は0から6の数値でおこなわれ、0だと異性愛のみ、6だと同性愛のみ、3だと異性愛と同性愛が同程度ということになります。以下、キンゼイ・インスティテュートのWebサイトから、それぞれの尺度を和訳して引用します。

0 完全に異性愛のみで、同性愛はまったくない
1 大部分は異性愛で、同性愛は偶発的なものだけ
2 大部分は異性愛だが、偶発的というよりは多い同性愛経験がある
3 異性愛と同性愛が同程度である
4 大部分は同性愛だが、偶発的というよりは多い異性愛経験がある
5 大部分は同性愛で、異性愛は偶発的なものだけ
6 完全に同性愛のみ

キンゼイ博士は、「成人の時期に一貫して異性愛であるのは人口の50%にすぎない」*1とし、セクシュアリティを100%の異性愛から100%の同性愛へと至る連続体としてとらえることを提案*2していました。以下、同じくキンゼイ・インスティテュートのWebサイトより、キンゼイ氏のことば。

世界は羊か山羊かに分けられるようなものではないのだ……生物界はそれぞれの、そしてすべての要素において、連続体なのである。

The world is not to be divided into sheep and goats…The living world is a continuum in each and every one of its aspects

この考えはホモフォビアの軽減に役立ちましたし、性的少数者にも支持され、「セクシュアリティはグラデーション(英語だと"spectrum")」なんてことがよく言われるようになりました。しかしながら、今回のノリス氏らの研究では、性的指向は実は「羊か山羊か」モデルの方がよくあてはまるものだと判明したのだそうです。

ノリス氏らの分析では、男性のうち3パーセントと女性のうち2.7パーセントが「非異性愛者」(ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル)、それ以外が「異性愛者」のカテゴリーにあてはまりました。もちろん個人差はあるし、カテゴリー間の行き来が完全にゼロというわけでもないけれども、それでもやはりこの2集団の間には明確な境界線が見いだせたのだそうです。つまり、グラデーションじゃなかったんです。

ちなみにカテゴリーの中での流動性はあり、「異性愛者のカテゴリーの中にも、低いレベルではあれ同性になんらかの魅力を感じる人はたくさんいる」とノリス氏は述べています。さらに、異性愛者と非異性愛者のどちらのグループ内にも、「途方もないほどの多様性がある」とも。しかしながら、集団ベースで見た場合、異性愛者と非異性愛者の間にははっきりとした区画線が存在したとのこと。

「人はこの分野では個人差を尊重し、大事にしたいと思うもので、セクシュアリティを流動的なものととらえるのはそのためのひとつの方法であるということはわかります」と彼女は言った。「今回の発見が、カテゴリーごとの差異も存在するということを示していると知っても、なお個人の違いをたたえることは可能だと思います」

“I believe that people want to respect and value individual differences in this area, and recognizing sexuality as fluid has been one way to do that,” she said. “I think we can still celebrate individual differences and some fluidity while acknowledging that these findings suggest there is also a categorical difference.”

この報道を見て膝を打ったことがひとつ。Netflixのドラマ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』のレズビアンキャラの名台詞で、「ルールその1。異性愛者の女と恋に落ちるな」("Rule No. 1: Don’t fall in love with a straight girl.")ってのがありましてね。「レズビアンが異性愛者とつきあっても絶対にうまくいかないから最初から恋をするな」という意味で、いちレズビアンとしては血の涙を流しながら深くうなずいたんですが、ひょっとしたらこれ、この研究で言う「カテゴリーごとの差異」で説明がつくことだったのかも。ヘテロ女性が同性に惹かれたところで、それは境界線のあちら側での「流動性」にすぎず、こちら側には来られないから結局続かないということなのかも……?

そうそう、ちょっと前に「異性愛者女性は存在しない(全員両性愛者である)」という極端な報道が流れ、日本語化もされたので、それを真に受けてしまった方だと「どっちが正しいんだ」と混乱されるかもしれませんね。個人的には、少なくともネットニュースでスキャンダラスに報道されたような「女性は男女両方の性的映像に対して身体が反応を示す=異性愛者女性は存在しない(全員両性愛者である)」説は眉唾だと思います。すでに批判されている通り、性科学の分野では、異性愛者女性の性的な興奮パターンは男性よりフレキシブルだというのは以前からよく知られていること。あの報道は、それに煽り気味のタイトルをつけて注意をひこうとしただけのものととらえるのが妥当なところでしょう。

それにだいたい、世の中には「百合エロで興奮するが同性と性的経験を持ちたいわけではないヘテロ女性」も、「BLエロで興奮するが、別に男性になって男性とつきあいたいわけではないレズビアン」もいくらでも存在するではないですか。第三者が傍から彼女らに「両性愛者」のレッテルを貼ろうとするのは無茶ですし、むしろ今回のドリス氏らの研究で指摘された、カテゴリー内の流動性で説明がつくんじゃないですか、こういった現象。「区画線」を超えずに、自分のカテゴリー内でたゆたってるんですよ彼女ら。それだけのこと。

とは言え、自分もアブストラクトとDaily Beastの記事しか読まずにこれを書いているので、論文をきちんと読むまでは、この研究にいかほどの妥当性があるのかは判断できません。ただ、キンゼイ・スケールには限界があることは以前から指摘されている(たとえば『3』という値は両性愛者にもAセクシュアルにもあてはまってしまうので、尺度として意味があるのかどうかという批判があります)ので、キンゼイ・スケール以外でセクシュアリティをとらえようという試みには大きな意義があると思います。個人的にはカテゴリー内での流動性・多様性という考え方が目新しくて面白かったので、今後ここに着目した研究がたくさん出てきてくれると嬉しいです。

*1:Kinsey, A. Pomeroy, W. B. and Martin C. E. .(1948) Sexual Behavior in the Human Male, Philadelphia and London: W. B. Saunders Company. (永井潜・安藤画一/訳『人間に於ける男性の性行為』コスモポリタン社、1950)

*2:Tin, L-G, et al. Dictionnaire de l'homophobie, Paris: Presses Universitaires de France. (ルイ=ジョルジュ・タン et al. (2013). 金城 克哉 /監修『〈同性愛嫌悪(ホモフォビア)〉を知る事典』東京: 明石書店. p. 284.)