石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『感情教育』(中山可穂、講談社)感想

感情教育 (講談社文庫)

感情教育 (講談社文庫)

ずっしり響くボディブローのような小説

薄幸な生い立ちのふたりの女性、那智と理緒との恋物語。ずっしりと重く響くボディブローのような小説でした。

タイトルこそ「感情教育」なのですが、これは愛を知らない那智が愛を知るまでの、言うなれば「愛情教育」を描いた物語なのではないかと思いました。そういう意味ではどこか榛野なな恵の漫画『ピエタ』と似ていなくもないのですが、大きく違う点がふたつあります。まず、どちらかがどちらかに献身的に尽くして救済する話ではないこと。もうひとつは、明確でリアルなレズビアン感覚が存在すること。オチがやや出来すぎなところは『ピエタ』に似ていると言えば言えるかもしれませんが、あくまでも「女性同士の恋」という文脈から描かれたエンディングであるところはまるで違っていると思います。

「川」と「滝」とが出会う話

ふたりの名前を深読みすると、理緒(リオ)はポルトガル語で「川」。一方、那智は作中で触れられている通り、和歌山の那智滝(那智の大滝)にちなんで名づけられています。つまりこれは、「『川』が『滝』に出会い、激流を経ておだやかな海にたどりつく」という話なんではないかとあたしは思いました。片方が愛でもう片方を救う救済物語ではなくて、よく似た存在が出会うべくして出会い、激しくぶつかり合いながらも結局は運命づけられた方向に向かっていくという意味が、これらのネーミングにはこめられていると思います。

リアルなレズビアン感覚

特に印象的だった場面をいくつか抜き出してみます。

甘糟とのセックスは女の子とするセックスとはまったく別のものだった。気持ちはいいけれど、エロスはない。それは一種のスポーツのようなものだった。
「おっぱいがあればいいのに」
彼と抱き合うたび、理緒はいつも残念そうに言った。

わかる、わかりすぎる……! ノンケさんの中には、「レズは男そのものが嫌いなのだ」とか「レズは一生女としか付き合わない」と信じ込んでいる人がよくいますが、そういうものでもないんですよね。実際、『レズビアンである、ということ』で掛札悠子さんが指摘されたように、男性と付き合ったことのあるレズビアンは多いし、行為だけなら男性とも可能だという人はかなりいるのではないでしょうか。でも、行為が可能だということと、そこにセクシュアルな感情の高揚があるかどうかというのはまったく別物なわけで、そこのところを鮮やかに切り取ってみせた面白いシーンだと思います。

この女は理緒に昔つきあっていた主婦を思い出させた。計算高くていやな女だった。生活のためだけに旦那と一緒にいて、理緒がのめりこんで離婚を迫ると、旦那と同じだけ稼げるようになったら離婚してあげるといってのけた。そのくせ理緒が離れていくとストーカーのように付け回して嫌がらせをした女だった。あれ以来、理緒は主婦という人種が苦手になった。

これもまた、苦笑いしてしまうほどリアルです。実際、この理緒の元カノのように、生活設計を全て男におんぶにだっこすることしか考えていないタイプの女性が、女相手でも身勝手なまでに依存心を剥き出しにするというパターンはけっこうあると思います。一部のノンケさんの呑気な想像とは違い、女性同士の恋愛だからといって、それだけで即「男女恋愛よりも分かり合える」とか「対等な関係が作りやすい」なんていうものではないんですよね。むしろ、「せっかく女同士なのに、なんでこんなことになっちゃうの!?」という絶望の方がよっぽど深いかも。(そこから脱却して、性別よりも『個』と『個」に焦点をあてて考えていけるようになると、またレズビアン関係の新たな光明が見えてくるのですが、それはまた別の話)

余談ですが、この「旦那と同じだけ稼げるようになったら離婚してあげる」というパターンは、同作者さんの『深爪』にも見受けられますね。合わせて読むと興味深いです。

オチについて(ネタバレなし)

ネタバレを避けるため、ちょっと変わった角度から話をしてみます。

知人の御祖父様は剣の達人です。お若い頃は全国でも1、2を争う力の持ち主だったとかで、今でも後進の指導に当たっておられるかくしゃくたる偉丈夫です。以下は、その御祖父様から伺ったこと。

どんなに厳しい稽古をして強くなっても、人は3人の剣を持った敵に同時に斬りかかられたらもう絶対に勝てないんだよ。そう、絶対だ。たとえ目の前の1人を斬り倒しても、残りの2人に殺されてしまう。だから、テレビの時代劇のチャンバラは、あれは嘘なんだよ。

だけどね、だからと言ってチャンバラは良くないとか間違っているとかいうことではないんだ。人間は無力で限界があるものだからこそ、ヒーローが必要なんだよ。あらゆる文学のヒーローは、弱く儚い人間という存在を励ますための大切な「希望」であり「夢」なんだ。時代劇のチャンバラも、それと同じなんだよ。

何が言いたいのかというと、『感情教育』のラストもやはりこのような「希望」であり「夢」なのではないかということ。一部ちょっとご都合主義的な展開があるのですけれど、あれは現実のレズビアン恋愛のつらさや苦しさを癒すひとすじの光を描こうとしたのではないかとあたしは受け取りました。

まとめ

緻密で重くてしんどくて、でも最後まで目が離せない濃厚な恋愛小説でした。読みながら自分の経験したさまざまな恋愛を思い出して悶絶したレズビアンは多いのではないかと思います。そして、ラストシーンでしんみりと自分の過去恋愛の供養(という言い方も変ですけど)をしている気分になったレズビアンも。