石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『まんがの作り方(7)』(平尾アウリ、徳間書店)感想

まんがの作り方 7 (リュウコミックス)

まんがの作り方 7 (リュウコミックス)

ますます百合に見えなくなってきた

漫画家×漫画家の百合(なはずの)コメディ第7巻。「女が好きでもないのに女とつきあってみたヘテロの話」の気配はさらに増し、読んでてちっとも百合に見えなくて困りました。この状況で「けっこういい感じだと思ってた」と言う川口さんの感覚が理解できないのは、あたしがレズビアンだから? 巻末収録の読み切り「ぴいちゃん」はよかったです。

「私はけっこういい感じだと思ってた…」……?

第52話で、森下さんが武田さん相手に恋や漫画が「うまく行けばいいのに」と話すのを聞いてしまった川口さんが、こんなことを言うんですよ(p. 102)。

森下は恋愛うまく行ってないんだ?
私はけっこういい感じだと思ってた…

ここを読んで、ビクターの犬もびっくりの角度で首をひねってしまったわたくし。いい感じも何も、そもそもこれが「恋愛」なのかどうかすら疑わしい雰囲気が長らく続いている中、なぜこの発言。

そりゃあこの7巻では、頭ナデナデもあれば「超…むれる…」と言いながらの長時間手つなぎギャグもありますよ。しかし5巻以降で特に川口の側のコレジャナイ感が強まってきている中、こうした表面上の行為だけでふたりの関係を「恋愛」と取るのは無理。頭撫でたり手(前足)を握ったりするだけならゴールデンレトリバー相手にだってできるけど、だからと言ってゴールデンレトリバーと恋愛してるってことにはならないじゃないですか。それと同じ理屈で。

さすがにこれでは百合百合しさが足りないという観点からか、今回は武田さんにまで森下さんの手を握らせ、

私も森下さんのことが好きです
それはわかってください

と言わせる大ゴマ(p. 120)も用意されています。が、これとてその直前に「恋愛としての好きとは違いますが」(p. 118)という説明がくっつけられています。形だけ好き好き言わせたり手を握らせたりしとけば百合に見えるだろ、というのはちょっと違うんじゃないかなあ。いっそ無理のある百合路線をやめて、ギャグ1本で勝負した方がまだおもしろくなったのでは。

読み切り「ぴいちゃん」はよかったです。

巻末に収録されている「ぴいちゃん」は、「けもも」2号に掲載された単発作品。インコを少女に擬人化した、美しくも残酷なお話です。実はこの擬人化ストーリーそのものが一種の寓話であり、その寓話がやりきれない現実を抉るという二重構造になっています。たいへんおもしろかったので、「この19ページのためにお金を払ったのだ」と思うことにしました。

まとめ

キャラたちが特に恋愛感情のない同性相手に頭を撫でたり手をつないだり声帯を振動させて「好き」という音声を作ったりしている巻でした。いちレズビアンにははかりかねる行動様式であり、誰かヘテロ研究のジェーン・グドールに相当する人が出現して解説してくれないものかと思います。いっそ百合よりギャグにウエイト置いて舵を切り直してほしいです。