- 作者: 扇智史,尾崎弘宣
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2008/04/28
- メディア: 文庫
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自己愛と自己憐憫とイヤボーンの完結編。
読んで呆然。
ここにあるのは、主人公なごみの自己愛と自己憐憫だけ。唐突なイヤボーンでメアリー・スー的な「隠された天才の力」が発動するという展開も陳腐ですし、何より、自分の判断ミスで招いた惨劇を「この街のせい」と責任転嫁して暴れるなごみの身勝手さにはついていけませんでした。百合に関しても、1巻にあったようななごみと華多那との心のやりとりは皆無ですし、何より華多那の扱いがひどすぎます。愛ある話とはとても言い難いと思います。
1. なごみの自己愛と自己憐憫について
今回はシリウスという子犬が話の鍵を握ります。なごみが拾ったこの子犬にはある秘密があり、それを巡って守代家との激しい対立が生じる、という設定なのですが、なごみのシリウスに対する態度が自己愛&自己憐憫全開すぎてついていけません。
そもそもなごみは、最初からシリウスのことを全然大事になんかできていません。偶然見つけた子犬が「全身、肉を削ぎ取られたようにやせて」(p197)、「箱の底にたまった雨水が子犬の体温を奪い続けている」(p198)のに、
食べ物あげて、箱を橋の下に隠してあげて、そんで帰ってもシリウスのことが気がかりでさ
って(p199)、アホですかこの女。気にかかるならさっさと保温して即刻獣医に連れて行けよ。栄養失調の子犬にいきなり食いもんやっても、下痢を起こしてかえって危ないだけだっつーの。おまけに、その場で子犬を連れ帰らなかった理由が、
「死ぬのを見るの、耐えられそうになかった」
いまにも途絶えそうな命から、一度は目をそらした。
「それって、あたしが死ぬのと、同じことだもんね」
とは(p200)よく言えたもんです。自分の境遇を捨て犬に重ね合わせるのは勝手だけど、そんな感傷のために瀕死の状態で放置される子犬の身になってみろ。結局、大事なのは自分だけで、子犬の命は二の次というわけですよこの人は。
その後とある理由から子犬は生き伸び、追手に殺されそうになるわけですが、今度はなごみはうってかわって理不尽なまでにシリウスをかばい始めます。街の人たちの安全や生命よりシリウスが大事という極端ぶりで、「なら、なんで最初から助けない?」と目が点になりました。ちなみに、ここでなごみがこうまで執拗にシリウスをかばい続ける理由というのは、本人によると、
シリウスはあたしだ。(中略)捨てられて、ひとりぼっちで、望みもしないで得た力に振り回されて(中略)だからあたしは、この子を捨てられないんだよ
なんだそうです(p207)。結局自己愛だけじゃねーか! シリウスが大事なんじゃなくて、常にシリウスに投影した自己イメージだけが大事なんじゃねーか! なお、なごみが結局シリウスそのもののことをそれほど大切になんて思っていなかったということは、p285の7行目を見れば一目瞭然。ここ読んで心底呆れ返りましたよ、あたしは。
2. なごみの責任転嫁について
なごみが自己愛にどっぷり溺れてシリウスをかばい続けたために、お話の後半ではある取り返しのつかない悲劇が起こります。この時点で、「百合小説としてはアウトだ」とあたしは思いました。子犬に投影した我が身可愛さのあまり、愛してるはずの人をあんな目に遭わせる時点でアウトですよもう。
それでも、惨劇が起こった時点で我に帰るのなら、まだいいんです。ところがなごみときたら、イヤボーンで突然発動した天才的な力とやらを振り回し、「この街が、○○○も、○○○○も、殺したんだから」(p266)と突如街に責任転嫁。結果、人は死ぬは塔は壊れるはと大変なことに。なんでも「社会のせい」とか「世界が悪い」とか言いたがる中学生かお前は。
あと、これだけのことをやらかしておいて、感傷たっぷりに
ふたりでいたから、積野辺は、
――あたしたちの街。
だったんだ、と思う。
って、そりゃないでしょなごみ。自己憐憫にばかり熱中して相方をまっったく大事にできてなかったくせに、いきなり主語を「あたしたち」と複数形にして都合よく陶酔すんなよ。
まとめ
なごみの感傷と自己憐憫だけがクローズアップされた、後味の悪い1冊でした。1巻にあった華多那との心の交流は見るかげもなし。百合小説として読むなら、1巻まででやめておくが吉。