
- 作者: 榛野なな恵
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2002/05/17
- メディア: コミック
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百合というよりシスターフッド漫画。でも、とてもよかった
♀♀恋愛ものではまったくないのですが、面白かったです。収録作「放課後」「野茨姫」など、女のコ同士の友愛関係を静謐に、かつ凛々しく描ききった傑作だと思います。さらに恋愛からは遠ざかってしまいますが、「早春賦」では女性同士の世代間の連帯までしっかりと描かれていて、「やっぱりこの1冊って『シスターフッド漫画』だなあ」との意を新たにしました。また、単にキャラクタがキャッキャウフフして終わりではなく、どの作品にもチクリと刺さる社会的メッセージが潜んでいるところもよかった。
「放課後」「野茨姫」について
どちらも女子高生同士の友愛を描くお話なのですが、正反対の性質を持っているところが面白いです。
「放課後」は、女子高生の主人公「堀口さん」が、男物の腕時計をつけた美しい同級生「大岡さん」に惹かれるお話。リアルタイムのお話というより、どちらかというと大人が学生時代をノスタルジックに振り返る視点の物語なのではないかとあたしは思いました。それを象徴しているのが、このモノローグ(p. 83)。
これだけだったら、一部の同性愛嫌悪的な百合好きさんが愛好するような、「(異性愛に回収されるため、実際には儚く終わってしまう)永遠の少女だけの国」賛美にもとれてしまうと思うんです。ところが、同じ作品集に「野茨姫」が収録されていることで、少し話は変わってきます。遠い城の中 一人の姫が眠りつづける
私たちはその中にいる
同じ一つの眠りの中の
同じ一つの夢の中に
ずっとここにいて
どこにも行かないで
「野茨姫」は、同じく女子高生の主人公「彰子」が、背が高く素敵な同級生「小野木さん」に惹かれる物語。そこまでは「放課後」とよく似ているのですが、後半での小野木さんの台詞がすごい。「目を閉じてきらいなものすべてを見ないようにする方がましじゃないかなーと 私の夢の中では誰も私を傷つけないでしょ」とつぶやく彰子に、小野木さんはこう返すんです(p. 175)。
これって「放課後」への返歌だ、とあたしは思いました。大人の目線で「いずれヘテロセクシズムと女性への社会通念によって潰されてしまう少女同士の関係」を賛美して終わってしまうんではなく、少女たちに「目を覚ましなさい」とそっと呼びかけるところまで持って行く点が非常に新鮮で、面白いと思います。それは実は、「お姫様は目をさましたって、そして王子様に頼らなくたってお姫様でいられる」という真実の暴露だったりもして、そんなところも痛快でした。でも 安全なお城で眠っててずっと夢を見てたお姫サマって
目を覚ましたら結局
王子サマに頼らなきゃ
生きていけないんじゃないの?
ちなみに「野茨姫」の最終ページのモノローグは、「放課後」のそれと鮮やかなコントラストをなしていて、やはりこれらの作品が対になっていることをうかがわせます。思春期の成熟拒否をフワフワと美化するだけの百合モノに飽きた方に、心の底からおすすめ。
「早春賦」について
女子高生の主人公が、自分の通う「ちゃらいお嬢様学校」で疎まれる初老の女性教師に共感を見いだすお話。いわゆる「恋愛」でも「友情」でもないんですが、この世代間での連帯感がすごくよかったです。友達だの恋人だの、あるいは「友達以上恋人未満」だのの路線以外でもいくらでも女性同士の絆は描けるんだというお手本のような作品。
社会的メッセージについて
中学生が巨悪に一矢報いる表題作「卒業式」をはじめ、どのお話にも独特の深さと鋭さがあってよかったです。この作品集がユニークなのは、そこで決して「汚れた大人VS純真な子供」のようなありふれた構図に頼らないこと。前述の「早春賦」では、与えられた枠に何の疑問も持たず流されるだけの「17歳のババア」たちが痛烈に批判されていますし、「放課後」「野茨姫」でも、少女たちの現実逃避的な成熟拒否に(ある種の共感を描きつつも)疑問が投げかけられています。1冊全体を通してこれらの作品が大人と子供の両方につきつける、「眠ったままでいるな、目を覚ませ」というメッセージの鋭さにしびれました。
まとめ
女性同士の絆をさまざまな角度から描きつつもそれだけでは終わらない、深いメッセージを持つ作品集だと思います。アドリエンヌ・リッチが読んだら大喜びするんじゃないかしら。ガチ恋愛系の百合物をお探しの方には向きませんが、そうでない方には非常におすすめです。