石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『君が僕を2〜私のどこが好き?』(中里十、小学館)感想

君が僕を 2 (ガガガ文庫)

君が僕を 2 (ガガガ文庫)

極上の百合物語。ラスト数ページが圧巻。

いやー、まいった。面白いわこれ。「商売繁盛の神様“恵まれさん”こと『絵藤真名(えとうまな)』と、真名に惹かれる『橘淳子(たちばなじゅんこ)』の物語」という前作の枠組みはそのままに、みごとに読者を振り回してみせる傑作百合小説です。サブタイトルにもなっている「私のどこが好き?」という質問も、その質問への真名の答えの鮮やかさも、みんなよかった。主人公・淳子の気持ちの厚みや生々しさもよかったし、読者をじらしにじらしておいて最後の数ページに怒濤の展開を配置するというたくらみもすばらしかったです。

「私のどこが好き?」という質問について

「私のどこが好き?」という問いに的確に答えるのは至難の業です。本書のあとがきにも

どこそこが好き、と答えたとしましょう。目が好きとか、優しいところが好きとか。すると相手は、「そうじゃなくなったら、もう好きじゃなくなる?」「そういう人なら誰でもいい?」と訊いてきます。恋人同士の会話が、たちまち哲学書の購読に早変わりです。

とある(p. 225)ように、どう答えても質問者を納得させにくいからです。テセウスの船砂山のパラドックスと同じ根を持つ、「『私』とは何か」「同一性とは何か」という問題がそこにはあり、一朝一夕に最適解を出すことはできません。そのことに薄々気づいているれのあと淳子は、この問いを純粋な質問ではなく、不気味な「逆襲」(れのあ)や「なかば冗談で、真名を困らせるつもり」の質問(淳子)として使用していたりします。

ところが、この命題にあらゆる意味で完璧な答えを出してしまった人がひとりだけいます。絵藤真名です。まったく野生動物にはかなわない、というか、前作に引き続き「お前はゼン・マスターか!」と叫んでしまいましたよあたしは。そう、非常に禅的で、かつ非の打ちどころのない答えを突きつけてくるんですよこの人。そりゃ、淳子も陥落するはずだわ。この答えをきっかけとして一気になだれこむ結末の熱とエロティシズムは筆舌に尽くしがたいほどで、しみじみと堪能させていただきました。読んでよかった、この本。

淳子の気持ちの厚みと生々しさについて

女のコ同士が記号的にキャッキャするだけの平板な百合ものとは違い、主人公の感情に厚みと生々しさがあってよかったです。たとえば淳子の自己欺瞞と悶々の描写なんてのが面白いんですよ。『あんなことまでしておいて』『いまさら』という「気持ち悪い言い草」(p. 35)を持ってくることで、真名に対する屈折した愛着がよりいっそう人間くさくなってくるところとかね。また、淳子の15歳らしいイノセンスと、それをシニカルに別角度からとらえなおす視点とを両立させているところもみごと。ラストシーンで堰を切ってあふれ出す感情と官能があんなにも鮮やかなのは、こうした丁寧な心理描写の積み重ねあってこそのことだと思います。

構成の妙について

相変わらず、虚実のかけひきがうますぎるほどうまい構成になっています。1巻を読んでいるこちらとしては「さあ淳子と真名はどうなった、百合展開はどうだ」と最初から鼻息荒くがっぷり四つに組みに行くじゃないですか。ところがこのお話ときたら、いきなり淳子と新キャラ・れのあとのすったもんだを話の柱に据えてみせ、こちらの勢いをいなすいなす。ときどき淳子から真名へのわだかまりをチラリとのぞかせつつも、そのまま案外おとなしく土俵際まで後じさっていくので、「ひょっとして今回はこれだけ?」と思っちゃうわけですよこちらとしては。ところがこの物語は、最後の最後の土壇場で、いきなり全盛期の千代の富士(現・九重親方)も真っ青の上手投げをぶちかましてきます。油断していた読者はまさに赤子の手をひねるがごとく投げ飛ばされ、「参りました」と手をつくよりほかありません。最後まで読み手を翻弄するこの構成に、ただただ拍手です。

まとめ

百合なラブストーリーとしても1篇の小説としても文句なしの傑作。じりじりモヤモヤさせておいて一挙にカタルシスになだれ込む構成といい、心理描写の巧みさといい、ラストシーンの熱と官能といい、すばらしいのひとことです。なお、あとがきによると、3巻(あるとすれば)のサブタイトルは『将来なにになりたい?』だとのこと。出たら絶対買います。