石壁に百合の花咲く

いちレズビアンの個人的メモ。

『狂気の愛』(サンドラ・スコペトーネ、安藤由紀子訳、扶桑社)感想

狂気の愛 (扶桑社ミステリー)

狂気の愛 (扶桑社ミステリー)

レズビアン探偵ものの先駆け

ニューヨークを舞台に活躍するレズビアン探偵、ローレン・ローラノシリーズの第1作。本国で出版されたのは1991年で、メインストリームに登場したおそらく初のレズビアンPIシリーズです。いやー、懐かしい。今になって読み返すと、リアル感あるレズビアン小説としてももちろん、90年代のニューヨークの風物を切り取った作品としてもすぐれた1冊であることがわかります。ミステリとして特別目新しいプロットではないものの、人物造形がたくみで、痛々しくもリアルな人間ドラマとして楽しめました。

まずレズビアン小説としての部分は、今読んでもまったく新しさを失いません。同性愛者なら誰でも経験するであろう、「なんてことはない日常の中で、紙やすりで削られるような不快な目に遭う」という場面の描写がじつにうまいんですよ。その「紙やすり」は、たとえば居心地のいいレストランの主人が悪気もなく言い放つ一言だったりします。あるいは、恋人の家族から暗黙のうちに「いない存在」扱いされることだったりとか。こちらがレズビアンだと知らない相手から同性愛者への偏見をたっぷり聞かされ、しかも同意を期待されることとか。なれなれしい男性をはねつけたときに、「レズか何かか?」とへらへら笑いながら言われることとか。

これみんなわかる。みんな知ってる。それを乗り越えて生きてる。ほんと、他人事じゃない。

同性愛者であることの大変さは、悪意ある人からのわかりやすい暴言・暴力よりも、むしろうこういった「悪気はないつもりの人から地味に自尊心を削られ続ける毎日」にあるんです。悪意に満ちた暴力ならば、完全クロゼットでいればまだ避けることもできます。けれどもこういう無邪気で、些細で、それゆえにやっかいな暴力を回避し切るすべはありません。この蓄積ダメージはでかいですよー。時に言い返し、時に受け流し、時にひそかなため息をついて苦々しい感情をやりすごすローレンの姿は現実をサヴァイヴする同性愛者そのもので、共感せずにはいられません。

次に90年代の描写について。これはもう、「90年代前半の空気が完璧に真空パックされている」とでも言うしか。要するに細部の描写が緻密だということなんですが、ゲイのキャラクタのエイズ発症に対する周囲の反応とか、2400ボーのモデムを使ったパソコン通信の描写とか、「レーガン政権の負の遺産」に対するまなざしなどが、時代性てんこもりなんです。まさかこの後エイズが死なない病気になり、Windowsが世を席巻し、ブッシュJr.が泥沼のイラク戦争を始めるなんて、だれが予想し得たでしょう。そう思うと隔世の感があるものの、かと言って話が古臭くなるということはまるでなく、読めば読むほどかえって物語の持つ「時代を越えて変わらないもの」がくっきりと浮かび上がってきます。そこがおもしろかったですね。

最後に筋立てと人物造形について。プロットは比較的シンプルなフーダニットで、後半にひとつ大きなひねりがあります。その「ひねり」のために登場人物の相関関係がかなりわかりづらくなってしまっているところが、ちょっと残念でした。ローレンのパートナーや友人たちにワトソン役をつとめさせることで、どうにか読者を置き去りにせずに済んではいるのですけれど。いっぽう人物造形は繊細かつ立体的で、特にキャラたちのねじれた家族関係からくる傷と孤独の書き方がうまいです。こうした傾向は作者がノンシリーズものとして書いた『ダニエル・スワン殺人事件』『九本指の死体』(ジャック・アーリー名義)などにも見られ、スコペトーネのもっとも大きな魅力のひとつだと思います。

まとめ

ストーリー後半にややごちゃごちゃ感はあるものの、レズビアン・ミステリとして今なお色あせない傑作。同性愛者のさりげない日常を時にシニカルに、時にユーモアを交えつつ浮き彫りにしていく手腕に大拍手。時代の空気をスケッチする筆力の確かさも、キャラたちの痛みや葛藤に注がれるまなざしも、とてもよかったです。おすすめ。