- 作者: ローリー・R.キング,Laurie R. King,布施由紀子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1998/11
- メディア: 文庫
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プロットもアクションもお見事。充実のシリーズ第3作
ケイト・マーティネリ・シリーズ第3弾。リーとの別居で荒れ荒れのケイトが、12歳の友人ジュールズの頼みで始めた人捜しをきっかけに、絶望的な状況に追い込まれます。凝った構成と深い感情・心理描写が光る1冊で、アクションの緊迫感もみごと。マイノリティとしてのレズビアンのとらえ方もリアルで、バランス感覚にすぐれた傑作と言えましょう。
プロットの構成がうますぎる
しょっぱなからして度肝を抜かれるんですよ。ケイトとリーはいきなり別居してるし、ホーキンはもう結婚が決まってるし、しかもケイトは襲われて怪我をしたとあるしで、「2作目から今までの間にいったい何が!?」と心拍数上がりまくりです。
少し読み進めると、これは読者を謎で引っ張り後からあっと言わせるために、時間軸をずらして印象的な場面をプロローグに持ってきたのだとわかります。しかもこの謎が解けた直後、さらに大きな謎とサスペンスがたたみかけるように襲ってくるという二段構えの構成になっていて、緻密なプロットに翻弄される楽しみを最初から最後まで味わうことができます。
ストーリーの中に「子供」というテーマがいく筋にも織り込まれているところもよかった。オープニングにもエンディングにも強くかかわってくるこのテーマが、物語を立体的にしていると思います。
人間描写もうますぎる
登場人物の行動を通じた感情・心理描写が巧みです。たとえば序盤でケイトの部屋や車が荒れ果てているのはリーに去られた悲しみや混乱のメタファーですし、そこから一転してケイトが家中の修理や手入れに熱中し始めるくだりは、回復しようとする彼女の心のあがきを示しています。ジュールズの「きょうの言葉」は彼女の大人顔負けの頭脳と年相応の子供っぽさとのミスマッチの象徴であり、それまではかなかったブーツを購入するという行為は、母への反抗を物語っています。
シド・フィールドは、著書『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』(フィルムアート社)の中で、「キャラクターの最重要事項はアクションである。その人のすることが、その人を示す」(p. 80)と看破しました。これはあらゆるフィクションに通じる鉄則であり、『捜査官ケイト 消えた子』は、この鉄則をこれ以上なく体現して見せた小説だと思います。
レズビアンのとらえ方もリアル
下衆なマスコミが、ケイトが行方不明の未成年少女と関係を持っていたのではないかと騒ぎ立て、ケイトが打ちのめされるくだりがあります。それでなくともケイトの性的指向は署内のからかいや嫌がらせの種になっているのに、いったいどうなることかと。
ところが覚悟を決めて市警本部に顔を出したケイトが出くわしたのは、同僚たちからの不器用な友情と気遣いでした。面食らうケイトに同僚のキタガワが説明する、この台詞(p. 278)がいいんですよ。
「警官というのは――この傾向は、ほかの人間より強いと思うが――身内が部外者にいじめられるのをきらうんだ。たとえそいつが組織の中で浮いてたことがあってもね。自分たちが“敵”と見なしてる連中がそいつを追っかけてるのを見ると、なんか無性に一致団結して守ってやりたくなるのさ」
1巻での登場以来、少数派の立場で歯を食いしばってなすべきことをなしてきたケイトが、初めて仲間として受容されたわけです。とは言え差別そのものが雲散無償したわけではなく、警察という内集団に同一視されたために扱いが変わったという描き方なのですが、そのあたりがかえってリアル。
ケイトとリーとの関係の描き方もリアルでした。この巻ではリーの大けが以来共依存的になってしまった関係の破綻と修復が描かれるのですが、そこには「女同士だから」こうなのだ、ああなのだという色眼鏡はいっさいなく、あくまでどこにでもある人間vs人間としての対立と葛藤がストーリーを進めていきます。その中で変化・成長していくケイトの姿も、あらゆる人が共感できるような普遍的なもので、よかったです。
まとめ
ページをめくる手が止められないクライム・サスペンスとしても、いちレズビアンをめぐるリアルな人間ドラマとしてもすばらしい1冊。よく計算されたプロットも、たっぷりのアクションも、キャラの人間的魅力もよかったです。レズビアンが珍獣扱いされている日本の百合物に食傷気味の方は、こういうのを読むといいよ。おもしろいよ!