台詞過多でホモフォビック、しかし伏線回収はマル
『猫目堂ココロ譚』シリーズ第3巻。これにて完結。説明台詞が多すぎて説得力に欠ける上、旧態依然としたホモフォビアが恥ずかしげもなく登場します。ただし、後半の伏線回収には「やられた」と思いました。
説明台詞多すぎ
特に巻の前半に、大量の独白による「設定およびキャラの心情説明会」的部分が多く、ドラマらしいドラマが感じられません。頭の中でジュリー・アンドリュースがこの歌を朗々と歌い出しちゃって止まりません。
Julie Andrews - Show Me - My Fair Lady - Color - YouTube
まさしく、"Words, words, words! I'm so sick of words!"(言葉、言葉、言葉! もう言葉はうんざり!)。
人間の性質は「その人が何と言っているか」よりも「その人が何をするか」に表れるもの。極端な話、夜中の3時にストッキングをかぶった男が出刃包丁を握りしめてあなたの家のインターフォンを押し、「わたしは何も怪しくないただの誠実なセールスマンで、ステキな商品のご紹介に参りました」と名乗ったら、「そうかー、この人は何も怪しくないただの誠実なセールスマンで、ステキな商品を売ってくれるんだー」と思いますか? 思わないでしょ。言葉で何を言ったところで、行動の方が雄弁だからです。
せっかく視覚表現にすぐれた漫画という媒体で、魔法の力まで持ち出してキャラにずらずら喋らせて気持ちを説明させる(pp. 32-33)ってのはどうよ。好きな相手が「絶対あたしの所に戻ってきてくれる」(p. 49)という説明にしたって、台詞でいちいち言わせるんじゃなく、もっと視覚的文脈的にインパクトのある「絶対に戻ってくるエピソード」を入れようよ。作中の「お祭りではぐれたけどその後会えました」なんて展開は誰にでもあるありふれた経験で、何がどう「絶対」なのかひとつも伝わってきませんよ、ちなみに。
ホモフォビアも野放し
姉妹同士の百合カップルが2組出てくるのですが、それぞれ周囲からは
おまえたちのそれは不自然な行為なんだ
同じ性のもの
ましてや姉妹が慕い合うなど言語道断――
と頭ごなしに否定されるだけ。なぜ不自然なのかとか、なぜ言語道断なのかという説明はひとつもない上に、これらの価値観は最後まで覆されません。オチまで来ても同性愛+インセストはどこまでも許されざる「罪」だとされており、「でもココロがあれば(≒愛し合っていれば)大丈夫」というへっぽこ百合特有の能天気な価値観が強調されるのみです。
同性愛だけをネタに禁断・背徳ごっこをするとホモフォビアだと批判されるから、「じゃあインセスト要素とくっつけて、まとめて『罪』ってことでいいよね♪」という判断でもなされたのでしょうか……? ここはひとつハンロンの剃刀を採用し、悪意はなかったと解釈しておくことにしますが、今どき百合でこのオチのつけ方というのは無能以外の何物でもないようにあたしには見えます。世界にゃその「禁断」「背徳」扱いのために石で撲殺される人たちだっているのに、気楽でいいよねマジョリティは。
ただし伏線回収はマル
最後の2話で猫目堂とは何なのか、そしてその女主人は何者なのかがわかる仕掛けになっているのですが、意外な伏線が効いていて「やられた」と思いました。そこだけはとてもよかったです。
まとめ
結末近くの意外性ある展開はおもしろかったものの、説明的モノローグの多さと能天気なホモフォビアがすべてを台無しにしています。絵柄はあくまで可愛らしく、キスシーンや微エロシーンも登場するので、ある種のファン層の需要には適合する作品なのかもしれません。しかし、あたしには合いませんでした。
恋愛彼岸?猫目堂ココロ譚? (IDコミックス 百合姫コミックス)
- 作者: 東雲水生
- 出版社/メーカー: 一迅社
- 発売日: 2011/04/18
- メディア: コミック
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